白光真宏会-北陸

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「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」

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  文章には能動態と受動態がある。例えば、一般には「コロンブスは1492年にアメリカ大陸を発見した」と表記する。しかし大陸側から見れば別の表現になる▼「コロンブスにより発見された」。遠い昔から当地に住み独自の文化を築いてきた先住民には、新発見自体が事実誤認であり、侵略を招いた負の歴史でもある▼

 同じ文脈で強く印象に残る一文がある。2013年度新聞広告コンテストで最優秀賞に輝いた作品だ。「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」▼鉛筆で書かれたであろう文字はたどたどしい。赤鬼の子は右手に金棒、トラ皮のパンツをはく。その頬を涙が伝う。そして警句が添えてある。「一方的な『めでたし、めでたし』を生まないために」▼

 広告のテーマは「しあわせ」。制作者は「ある人に幸せを感じることも反対の立場や別の時代だったらそう思えない。視点によって幸せは変わる」とコメントしている▼概して権力を有する人は能動的思考が強い。

 ミサイル開発に執着する北朝鮮の指導者は、巨額の発射費用が人民の生活を脅かすことなど無頓着のようだ▼移民締め出しなど放言が相次ぐ米大統領は、過激な白人至上主義者を養護し非難の嵐。

 日本の首相も上から目線で不誠実な発言が目に余る。指導者たるもの、受動態の視点を持ち人の痛みを知ることが肝心である。

(2017年8月27日:福井新聞 越山若水より)

「世界人類が平和でありますように」はすべての人を幸せに導く。(I)

2017年7月30日。富山県護国神社WPPCの報告。

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 富山国旗富山WPPC 富山護国神社

 これまでは、本県と近県の法友、その家族等が参加する形のWPPCを続けてきましたが、今年は一般の方に広く参加していただこうと思い、集会の法友に呼びかけ、つながりのある友人、知人、親戚など心に思い浮かぶ方々や、国際交流関係の団体にも声をかけて参加をお願いしました。新聞社にも案内し取材を依頼しました。

 その結果、50名近くの方が参加してくださり、当日新聞社2社から取材があり、翌日と翌々日に写真と記事を掲載していただきました。

 チラシを作ったり、新聞社に行事を説明する準備をする過程で、WPPCがワールド・ピース・プレヤー・ソサエティーの主なプロジェクト活動の一つであること、ソサエティーは宗教ではないこと、アメリカで1988年に設立された社会教育法人であり、1990年には国連広報部に承認されたNGOであること、WPPCは世界各地で広く開催されている行事であることなどがハッキリと意識されていきました。

 そう言った意味で、今回の護國神社WPPCは、新しいWPPC開催の第一歩であったと思っています。また、今回の開催で改善すべき点も色々と見えてきました。各地で行われているWPPCの様子にも関心が高まりました。今後は、より開かれたWPPCとなるよう、進化発展バージョンアップしていきたいと思います。

 県外から参加してくださった法友の皆さまに、この場をお借りして感謝申し上げます。

 今後ともご意見とご協力をよろしくお願い申し上げます。

 世界人類が平和でありますように

(文責:ワールド・ピース・プレヤー・ソサエティーに賛同する富山グループ代表 寺尾 純)

8/1、北日本新聞に8/2北陸中日新聞に掲載されました。北日本新聞北陸中日新聞

(●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してWPPCなどの平和活動も行っております。)

あの切なさが人生には必要なのだ。 (欽ちゃんの初恋) :みやざき中央新聞から

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   (前文略) 昨年、萩本欽一さんのプライベートな秘話をドラマ化した『欽ちゃんの初恋』をBSテレビで観た。
 1970年代、欽ちゃんは国民的スターに躍り出た。子どもからお年寄りまで
、家族みんなが一緒に笑って見ていられる「お茶の間のアイドル」になった。スキャンダルといったものから一番遠い芸能人が欽ちゃんだった。
 だから欽ちゃんは苦悩していた。自分には恋人がいて、しかも相手はストリップ劇場の元ダンサーで
、既に子どもまでいる。それを1年以上も隠していた。もしマスコミにバレたらスキャンダル扱いされ、ファンからは「裏切られた」とそっぽを向かれる。そして芸能界にいられなくなると恐れていた。
 欽ちゃんと出会った頃のみゆき姉さんはフランス座のトップダンサーだった。先輩芸能人にお茶を運んだり、楽屋の掃除をしていた欽ちゃんにとって彼女は憧れのスター、高嶺の花だった。
 ところが、健気に働く欽ちゃんが、みゆき姉さんの目に留まった。彼女は、うだつの上らない欽ちゃんにご飯をおごってあげたり、お小遣いを渡したり、弟のようにかわいがった。挙句の果てに欽ちゃんの安アパートに転がり込み、寝泊まりするようになった。
 やがて欽ちゃんは「コント55号」で大ブレイクし、時代の寵児になった。
 そんな時、週刊誌に「萩本欽一、浅草のダンサーと同棲」とスプークされた。それを読んだみゆき姉さんは姿を消した。
 数年後、テレビで活躍するその合間を縫って。欽ちゃんは夜の店で働く彼女を探し出した。「僕はあなたがいたから頑張れたんだ。なぜいなくなったの?」と泣きじゃくる欽ちゃんに、みゆき姉さんは言った。「あなたが『欽ちゃん』だから。またマスコミにかぎつけられるよ」 「僕はあなたを幸せにしたい。僕があなたにしてあげられることは何?」
 しばらく考えて彼女は言った。「強いて挙げるなら子どもかな。あなたの子どもがいれば、親子2人幸せに生きていける」
 その後、また彼女はまた姿を消した。欽ちゃんに電話が掛かってきたのは1年ほど経った頃だった。「子どもが生まれた。名前を付けて」と言われ。驚いた。妊娠したことすら知らなかったからだ。

 欽ちゃんは、「週刊誌から叩かれてもいい。芸能界にいられなくなったら辞めたっていい」と決心して記者会見を開いた。「実はね、ボク結婚してました。子どももいまーす」と、欽ちゃんらしくおどけた。
 偶然テレビを見ていたみゆき姉さん、「あれ?私のことを言っている」と気付き、そのプロポーズに一筋の涙を流した。
 そして週刊誌は好意的に報道し、ファンは欽ちゃんを祝福した。
 同棲して別れ、再会して子どもをつくってまた別れ、また再会してやっとゴールイン。13年もかかった。「勢い」なんてなかった。切なさだけの恋だった。
 いつの時代も人は誰かを好きになると切なくなる。あの切なさが恋をドラマチックな物語にしていくのだろう。
 恋は少し古典的なほうが、味があっていい。

(2017年2月13日 みやざき中央新聞社説から)

 この話しは下関の中野利夫さんからの提供です。そして下記は中野さんと欽ちゃんの感動の思い出です。 
 「昔タクシーの運転手をしていた時、萩本欽一さんがNHKの職員さんと一緒に乗ってこられました。話していて、私が「萩本さん、ウチの会社、倒産して、他の会社に買収されるんですよ」と少々情けない口調で言うと、とても前向きな言葉で励まして下さいました。ピースドールを差し出すと、「僕はこういうの(宗教)は信じないんだよ」と言われましたが、チャンと受け取って下さいました。北九州空港で降りられる時、お願いすると、通行料金の小さなレシートの裏に「世界人類が平和でありますように」を3行に分けて書いて下さり、笑顔で降りて行かれました。
・・・・萩本欽一様即神也・・・・神性復活大成就・・・・・・・
・・・・人類即神也・・・・・・・・・・神性復活大成就・・・・・・・

真実に生きる。(真実に生きる 自分の言葉と歩む天皇):月刊新聞「世界平和の祈り」より

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 四月の朝日新聞に憲法学者の蜷川恒正・日本大学教授が「真実に生きる 自らの言葉と歩む天皇」という文章を寄せている。その中で蜷川氏は、天皇陛下が2013年10月27日、熊本県水俣市を初めて訪れ、水俣患者の話を聞いたあとに述べたお言葉を紹介している。
 「やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく。そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」
 天皇陛下は通常、行事で述べる「お言葉」は、各方面に配慮して事前に作成なさるが、蜷川氏は、これは「事前に用意された「おことば」ではない。天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である」と述べている。
 水俣病は196年に発見された公害病である。その原因物質が新日本窒素肥料の工場から排出された水銀であることは、当初から疑われていたが、それが科学的にも確認されたのは1967年であった。原因が解明されなかったので、患者は肉体的に苦しむだけでなく、社会的な差別もうけた。企業や国はなかなか責任を認めず、被害者への補償と救済が遅れたが、2004年に最高裁が企業と国の責任を認めた。しかし、水俣病患者と認定されなかった人々の不満は残っているし、患者や水俣出身者への差別もいまだ続いているという。
 陛下のお言葉の中には、今の日本社会は「真実に生きるということ」「自分が正しくあること」が困難な社会である、というニュアンスが含まれているように感じられる。
 たしかに、国や大企業が公害の責任を嘘と言い逃れてごまかすのは、真実に生きることではないだろう。また、病気や障害を背負った人々が、差別や偏見の目にさらされていては、自分が自分として正しく生きることも困難であろう。
 蜷川氏は「『真実に生きる』とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きることであり、それを天皇は、すべての個人に励まし、それができる社会へと向かう努力を自他に求めたのである」と述べている。
 このお言葉はまた、陛下ご自身へのいましめでもあろう。陛下ほど日本国憲法に忠実で、誠実な生き方を追求なさった方はおられない。陛下は常に災害の被害者、傷害を抱えた人々に寄り添い、励まし、国民のすべての幸福を祈ってこられた。毎年10月には水俣に思いをお寄せしているという。それが「象徴天皇」としての首尾一貫した歩みであった。老齢によって、そのありか方が困難になったとお感じになられての退位のご意向であると拝察申し上げる。
 陛下のお言葉が尊重されることを心から願う次第である。       (N)

月刊新聞「世界平和の祈り」平成29年7月号エッセイより

 

「人類即神也」の体験談。(屋久島の縄文杉に会いにいって)        

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  10数年前に友人2人と屋久島の縄文杉に会いにいった時の話です。
  急な山道を歩いていると、鹿の親子が突然現れ、私達の前になり横になり、まるで道案内するようにくっついていました。あ~山の神様に迎えられているなあと感じて嬉しくなりました。
  私は急な道なき道を感謝行をしながら登っていました。「山さんありがとうございます」 「大地さんありがとうございます」 「岩さんありがとうございます」 「動物さんありがとうございます」 「植物さんありがとうございます」 と声に出して言ったり心の中で唱えたりしていたのですが、いつの真にか「人類即神也、人類即神也。人類即神也、・・・」 の唱名に変わってしまうのです。何回やり直してもそうなりました。私は今、この大自然に感謝したいと思っていると、 「あなたが私達に感謝しているのはわかっています。そういう人こそ、人類を目覚めさせて下さい」 という言葉が心に強く響いてきました。
  そうか人類即神也こそ、究極の地球世界感謝行だと思いました。人類さえ目覚めればすぐにでもこの地球は救われる、大自然は生かされた命をそのまま素直に生きている、人類だけが自然を地球を汚している。
  同じ種として、地球への感謝ができる私達こそが人類を目覚めさせる責任がある。
  まっててね自然さん、地球さん。祈りの仲間と必ず人類を目覚めさせます。 と誓いました。
  私はこの屋久島で、自分の意思に関係なく人類即神也の唱名が自然と鳴り響いて繰り返すことになりましたが、もちろんその後、縄文杉の前で「人類即神也の印」 を捧げました。
  私達が到着すると、前にいた登山者が帰って行き。私達だけになり誰にも遠慮する事無く皆で「人類即神也の印」 を心置きなく組むことができました。そして帰る時になると、次の登山者が来たのでした。
  縄文杉からは、ただただ慈愛のエネルギーが流れていました。人類の愚かさを何千年も見て来てあきれているだろうと思っていましたが、責める思いもなにも無く、ひたすら慈愛のエネルギーを送り続けてくださっている存在でした。その場にいた会員さんが「女神のエネルギー」 を感じました。縄文杉は女神でした、慈愛そのものでした。
  

  自然は人類が目覚めるのを待ってくれています。私達に期待してしています。そして人類を目覚めさせる一番の方法が「人類即神也の印」 なのです。
  本当にうれしいです。私達は祈りや印、感謝行によって、人類滅亡ではなく、自然と共生して生きる時代を創れるのですから。
  私は自然界とは完全に繋がっていると確信しています。それならば同じ人間同士はもっと繋がっているはずです。真理を理解し、世界を平和にする方法を知っている私達こそが人類を目覚めさす責任があります。
皆様共に祈って参りましょう。宜しくお願い致します。                                                                                    山際

(ある集会で、Tさんが山際さんにお願いされて頂いたこの体験談の文章のコピーを頂きました。素晴らしい内容でしたので、直接山際さんにお願いして掲載の許可をいただきました。I)

『私の履歴書』(25) 大橋光夫 (昭和電工最高顧問)

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自国主義の広がり憂う  『五井平和財団の活動に共鳴』


 「紛争なき世界」  

 いくつかの団体で役員を務めているが、いつも心が洗われ豊な気持ちになるのは、理事として関わる公益財団法人、五井平和財団の活動だ。世界が急速に内向き志向を強めるいま、国家間の緊張の高まりにどう対処するか。経済人としての思いが募る。

 五井平和財団は1980年に逝去した哲学者、五井昌久氏が主導した祈りによる世界平和運動を原点とする。個々の宗教と一線を画し、日本の精神性を大事にしながら国際社会の乱れや紛争を防ごうとする運動だ。

 五井氏には生前お会いした。底抜けに明るく全てを包み込むような人だった。東洋思想の第一人者で歴代首相が師と仰いだ哲学者。安岡正篤氏とは肝胆相照らす仲だった。

 「五井さんは情の人である。人間は清らかさと明るさがなければならぬ。五井さんはそこが人を引きつけるのだろう」と安岡氏は記した。
 富士製鉄の永野重雄、日本精工の今里広記、伊藤忠商事の越後正一、日本生命保険の弘世現、住友軽金属工業(現UACJ)の田中季雄、義父で富士銀行の岩佐凱実の各氏ら十数人の経済人が「五井会」を作って応援した。かっては政治家、経済人を問わず各界のリーダーが高い精神性を保つ心の余裕があった。

 今の政治家は小選挙区制の下で次の選挙の勝利だけを考える。企業経営者は機関投資家など株主の監視下で短期の決算数字だけを考え、長期的視点での発想に欠けるように感じる。先人の問題意識を十分に受け継ぐ人が少ないように思える。やや残念だ。

 五井氏の精神を引き継ぎ財団が設立されたのが99年。ドイツとフランスが恩讐を超え、欧州単一通貨ユーロを誕生させた年だ。五井氏の養女、昌美さんが会長を務め、西園寺公望氏の曽孫、裕夫氏が理事長を努める。夫妻とは40年を超す交際になる。新鮮で未来に向けた希望に満ちた話題に花が咲く。貴重な心の友だ。

 五井平和財団は2004年に国連経済社会理事会の特別協議資格を持つ非政府組織(NGO)として承認を受けた。06年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)との公式関係を持つ財団に認定された。

 毎年、世界平和に貢献した人を「五井平和賞」として表彰する。00年の第一回の生態学者ジェームズ・ラブロック氏をはじめ、ゴルバチョフ旧ソ連大統領、米マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏らが表彰されている。

 理事を務める元国連事務次長の明石康さんは「学生や若者との連携や協力を重んじて平和意識を高めようとする財団の役割は重要だ」と、数々の国際紛争に関わってきた経験をもとに話す。

 英国が欧州連合(EU)からの離脱を決め、今年の欧州各国の選挙は反EU政党の伸長がが焦点になっている。トランプ米大統領は自国優先を鮮明にし、「自由を求める者は誰でも来たれ」という建国以来の精神が揺らいでいる。

 古代ローマ五賢帝の時代は欧州、中東、アフリカの広範な地域で300年も平和が続いた。統治者のローマ人が属洲とした近隣国の人に極めて寛容だったことと、軍縮と同時に属洲での公共投資を重視したことが理由だ。

 国際社会は不寛容と一国主義に向かうリスクに直面する。だが原点から平和を考え、訴え続ければ、紛争なき世界への道はきっと開ける。
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日本経済新聞:2017年2月26日、「私の履歴書」(25)。から

「五井平和財団コナ-」

真珠湾 (月刊新聞「世界平和の祈り」より)

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 阿部首相は2016年12月27日午後(日本時間)、オバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館を訪れ、戦没米兵に黙祷を捧げた。

 言うまでもなく、真珠湾は日米開戦の地である。この戦争で多くの日本人将兵が、そして広島・長崎や沖縄や東京では多くの民間人が殺された。しかし、敗戦によって、日本は戦前の非民主的な軍国主義から開放され、民主的な平和国家として新生した。このような大きな犠牲がなければ、現在の日本は生まれなかったのである。

 世界平和の祈りの提唱者・五井昌久先生は、真珠湾を1971年(昭和46年)8月15日に訪れた。そのときハワイの神様から、真珠湾攻撃の意義について、次のようなメッセージを受けた。

 「真珠湾攻撃は、日本が仕かけたのでも、米国が誘いの隙を見せて、日本に仕かけさせたのでもない。日米双方の業(カルマ)を浄めるために、そして、日米双方が真実の兄弟として力を合わせて、人類世界の進化を計るために、神によって計画された戦いであった」

 ハワイの神様はさらにこう続けた。
 「アメリカに無駄な戦争を止めさせ、アメリカの足らざるところを補うのは日本よりない。それをアメリカの悪の面に日本が同調してはいけない。日本は日本の天命の和の精神を持ちつづけて、アメリカの力となり、今後の戦争を一切防いで、調和した地球にしなければならない。その点で、あなたの運動(世界平和の祈りの運動)は特筆大書すべき大運動であるから、こちらでも大いにあなたの援助をする。どうぞ日米双方の助け合いに力をつくして下さい」

 戦後、日米は世界でも類を見ない緊密な政治的・文化的そして軍事的な結びつきを作った。最近はよく日米軍事同盟ということさえ言われる。

 しかし、現在のような日米関係は、ハワイの神様が託した「アメリカの悪の面に日本が同調してはいけない」というメッセージに叶ったものだろうか?むしろ、アメリカが行う大義なき戦争を無批判に支持してきたのが、戦後の日米関係ではなかっただろうか。

 真実の兄弟であるならば、相手が間違ったことをしようとするときには、たとえ相手から嫌われようと、「そういうことはやめましょう」と忠告するであろう。相手のなすことにすべて唯々諾々としてついて行くことは、相手のためにもならないし、自分も傷つけることになるだろう。

 アメリカが悪の道に入らないように、日本が毅然とした愛の助言ができるようになるためには、日本国民の一致した世界平和の祈りが必要なのである。(N)

(月刊新聞「世界平和の祈り」平成29年2月号エッセイより・太字は当方によります)

 ◎:世界平和の祈り

神性復活の扉 : 「小さな勇気、小さな実行」 中野利夫

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白光四月号「神性復活の扉」コーナーの ”些細な瞬間の大きな喜び”という原稿をよみ、私自身にも日常から神性を実感する体験がありましたので投稿しました。

 私は散歩の際、道に落ちているゴミが目につき、とうとう見過ごすことが出来なくなり、意を決して拾うことに致しました。ゴミを拾うこと自体は簡単なことですが、どうしても人目が気になります。

 その時「相手と対した時、相手の目を見てはいけない。目を見るとエネルギーが奪われる」という武道の師匠から弟子への教えの言葉が心に浮かびました。実行してみると驚くほど心の自由を得て、ゴミを拾うことが出来るようになりました。そして拾う時、「我即神也」「人類即神也」「私は宇宙神の光の一筋である」等の言葉を心の内で唱えると、さらに余裕をもってゴミ拾いが出来るようになったのです。

 そのうち今度は所々に花を植えることを思いつき実行したところ、徐々に小さな子どもからご年配の方までさまざまな方が挨拶の声をかけてくれるようになりました。また、ご自分の庭から持ってきてくれる人、同じように花を植えてくれる人、知らない間にそっと花を植えておいてくれる人も出てきました。

 ある時は、私が歩いていると知らない人が「あそこに大きなゴミが落ちていたよ」と教えてくれたこともありました。家に帰り、家内と娘にそのことを話すと二人とも大笑いでした。また「最近姿が見えないのでどうしておられるのだろうかと思っていました」と声を掛けてくだする方もいました。

 またある日、若い女性が嬉しそうな顔で「おはようございます」と気持ちの良い挨拶をしてくれました。まったく知らない方なのですが、その女性は私がゴミ拾いや花植えをしていることを知ってのことだということが瞬間的に理解できました。その時は天使から清々しい挨拶を受けたような嬉しさを感じ、「神性復活」とは人と人との快い心の交流の復活だと思いました。

 また、同誌四月号の五井先生の詩のコーナーに対して、共感の想いが生まれる出来事がありました。
私が参加している集会では会の最後に「世界平和を祈る歌」と、その月の聖歌を歌うのですが、三月の集会では「こころ」を歌いました。最後の歌詞を歌った時、心に閃きのようなものを感じたのです。すると、白光四月号の五井先生のコーナーで「こころ」が掲載されていて、偶然のことながら驚きと喜びを覚えました。

 ここ二~三年は心にわだかまりあったのですが、今そのわだかまりの下から神性の芽吹きの温かさのようなものが感じられ、それらが薄れていこうとしています。五月に開催されるSOPPの中での「富士宣言」の祝典を前に心が開放され、有難く嬉しい気持ちでいます。

 五井先生の詩や短歌はみ教えを短い言葉で表現されていて、極意のようなようなものを感じられる気がします。

  人と人とをまんまろく
  天と地とをまっすぐに
  つなぐ光の波でした

 すべては完璧  欠けたるものなし  大成就
 無限なる感謝
                                        (山口県下関市)
【「白光」誌 2015年6月号より】

食肉解体 学んだ「いのち」。「すごか仕事」息子の言葉支えに。(熊本の坂本さん)

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「講演で思い 伝え続けたい」

食肉解体の仕事に携わる男性を主人公に、息子や一頭の牛とのエピソードを描いた絵本「いのちをいただく」のモデルで熊本市の坂本義喜さん(57)が、今年度末で同市食肉センターを退職する。
2008年の発刊以来、生きることと食べることを見つめ直す作品として感動を呼び、昨年度末には児童向けの新絵本も出版された。退職後は本格的に講演で全国を回る予定で「食べ物になってくれた動物の思い、感謝を伝えたい」と話す。【青木絵美】

 坂本さんは二十数年前からセンターに勤務。父も同じセンターの職員だったが「小さい時に父をみて、血がいっぱいつくのが嫌だったし、仕方なくやるという気持ちだった」。
 始めて3年ほどしたころ、転機が訪れる。

 センターに連れてこられた一頭の牛との出合いだ。女の子が愛しそうに付き添い「ごめんね」と語りかけていた。聞けば「みいちゃん」と名付けられ、家族同然の存在だという。「肉にできん」。坂本さんはためらった。

 背中を押したのは、当時小学3年生だった息子の忍さん(33)だった。少し前、忍さんは学校の先生から「お父さんの仕事ばせんと誰も肉ば食べれんぞ。すごか仕事ぞ」と聞かされていた。「お父さんの仕事はすごかとやね」。息子のその言葉が支えになった。
 迎えた解体の日、坂本さんが「みいちゃん」をなでると、牛は涙を流した。「牛の涙は初めて見た。怖かったんだろうって知ってね。自分の仕事は、少しでも苦しい思いをさせずにあの世に送ってやることだと分かった」。
この時の思いを知ってほしくて、仕事の合間を縫って細々と講演を始めた。

 その話しに強く心を動かされたのが福岡県行橋市の助産師、内田美智子さん(56)。性教育や食育に関する講演など各地を回る中、8年ほど前、ある小学校で偶然、坂本さんの講演を聞いた。耳を傾けるうちに引き込まれ「多くの人に知ってほしい」と出版を提案。坂本さんも快諾した。

 08年に出版された絵本は約10万部が出版された。その後、漫画「家裁の人」を描いた魚戸おさむさんが書き下ろした絵で紙芝居やDVD化され、授業などで使われている。昨年末には小学校低学年向けに新たな絵本(講談社)も発売された。

 坂本さんは、講演で出向く先々で給食の残飯の多さを訴える声を聞き「今は食があふれている」と憂う。一方、講演を聞いた子どもや親から「給食を残さず食べます」 「ピーマンも魚も命だけん、食べないかんね」 「子どもが『いただきます』を言うようになりました」といった感想が届く。 「本に『残さず食べよう』なんて一言も書いてないのに、命をもらって私たちが生きていることを子どもたちは感じている」と受け止め、伝えることの大事さを実感するようになった。

 老朽化したセンターは来年度末に閉鎖予定で、人員整理が進む。解体作業は別の施設で行われるが、これを機に、坂本さんは多くの講演依頼に応えようと退職を決意した。 「これからは子どもたちの前で目いっぱい、動物たちの思いを伝えたい」と話している。 
                                  (2014.2.8 毎日新聞)

 

憲法九条の起源 (月刊新聞「世界平和の祈り」から)

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 安部晋三首相は3月2日の参院予算委員会で、「私は在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べた。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌5月3日に施行された。誕生から70年もたち、現在の社会情勢とそぐわない面も出てきている。たとえば政教分離を定めた89条によれば、ミッションスクールなどの宗教的私立学校への助成は憲法違反になる。現憲法には、今日では常識となっている環境権という大切な思想が含まれていない。

 しかし、安部首相が最も問題にするのは、現憲法、とくに戦争放棄を定めた第九条が、日本が占領下にあった時代に、アメリカによって押しつけられたという点である。これを日本人の手によって作り直し、日本も正式な国防軍を持ち、集団的自衛権を堂々と行使したい、と現在の自公政権は考えている。
 
現憲法がアメリカによって押しつけられた面が強いことは歴史的な事実である。日本側が松本丞治国務大臣を中心として作成した憲法草案を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に提出したところ、この試案が明治憲法とあまり変わっていないことから、GHQはこれを拒否し、独自の草案、いわゆる「マッカーサー草案」を日本側に提示した。そしてこの「マッカーサー草案」がもとになって日本国憲法が作成された。
 
では、戦争放棄の9条はどのようにして「マッカーサー草案」に、そして日本国憲法に書き込まれたのか。この問題は憲法学者の間でも長年、議論になってきた。保守的な政治家や評論家の中には、9条は日本を弱体化させるために、連合軍最高司令官マッカーサーによって押しつけられた、と主張する人々がいる。
 
2月25日のテレビ朝日の「報道ステーション」は、国立公文書館から発掘された、岸内閣時代の憲法調査会の音声資料を紹介していた。その中には、中部日本新聞の小山武夫氏が、「当時の首相の幣原喜重郎氏から(9条は自分が発案し、マッカーサーに提言した)とオフレコで聞いた」という証言録音が存在した。この証言によると、9条は確かに押しつけられたものかもしれないが、その背後に日本人の発案があったということになる。
 
それでは幣原はなぜ、当時としては途方もない理想主義的なアイデアを思いついたのか? その背後には、第二次世界大戦で未曾有の苦難をこうむった日本国民の平和への願いがあった。そしてさらに、日本を二度と戦火に巻き込んではならないという、昭和天皇の強い意志があった。天皇はマッカーサーと幣原に、戦争放棄の条項を憲法に書き込むように要望し、両者は巧みな連携プレーでそれを実現したと言われている(渡邊和見「憲法の真髄と日本の未来」今日の話題社)。(N) 

(月刊新聞「世界平和の祈り」平成28年4月号エッセイより・太字は当方によります)

東京新聞 TOKYO Web 「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料 (2016年8月12日 朝刊)

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