白光真宏会-北陸

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「最後の審判について教えてください」(昭和30年代・五井先生ご法話)

富山ブログ

「最後の審判について教えてください」(昭和30年代・五井先生ご法話)

五井先生

幾つかの周期があって、その周期の最後に地球が大変貌する時があるのです。
今までの地球人類の生き方・考え方ではどうにもならなくなってしまう。

最後の審判は今なんです。

イエスさんが現れた頃からずーっと続いているのです。

その最後の審判の後に新しい人類が誕生する。

 

新しい人類が誕生するとは、みなさんが全部死んで入れ替わるというのでは

なくて、人類の宇宙観・人生観がまるっきり変ってしまう。
肉体波動が霊妙な波動に変る時代が必ず来る。

その前にどうしても「関門」を通らなくてはいけない。
それは今までの生き方を変えなくてはいけません。

 

キリスト教の人たちが解釈しているように、地球人類が全部または3分の2

滅びるのか、半分か、3分の1なのか、10分の1なのか、そういう滅び方が

なくてすむか、それはこれからの人間の生き方によって決まります。

 

それを指導するために私などは来ているのです。

最後の審判を大過なく災い少なく人類の損害少なく乗り切っていこうという

ために、いろんな聖者が出ている。
私には「消えてゆく姿で世界平和の祈り」という祈りの方法と
「宇宙子波動生命物理学」という科学を神様が授けてくださったのです。

 

その運動、その研究が完成することによって地球人類は損傷少なく苦しみ

少なく最後の審判を乗り越えて新しい人類として生まれ変わるのです。
「祈りによる世界平和運動」は最後の審判を願わくば無傷で超えて行かせなくてはいけない、という運動なのです。

ですから、みなさんの一人一人の天命は重要なわけです。

◎令和元年8月25日、富山市における福瀬くに子氏講話会の資料からお許しを頂き掲載させて頂きました。(I)

 武力をもって世界平和達成は不可能 (世界人類が平和でありますように)

富山ブログ

★ 武力をもって世界平和達成は不可能

私の説いている平和の祈りは、肉体生命の死滅を恐れて説いているのではありません。個人、国家、人類を通して、すべての人々が永遠の生命を自己のものとして把握できる道が、世界平和の祈りの中から生れてくることを説いているのであります。

 

永遠の生命の道が、共産主義国を倒すことによって開くものなら、どんな武力をもってしても、それを成し遂げなければなりませんが、相対的な敵対行為によって得た道から永遠の生命を見出すことは到底できないところです。

 

何故ならば、相手がどのように悪い国であろうとも、敵として殺傷した場合には、

相手国の人々の心に憎悪の感情を植えつけてしまいます。

まして、相手の国は自国のほうが悪いなどとは思ってもいないで、かえって向って

くる国を悪い国としてみているのでありますから、よりその憎悪の感情は強いわけで、その憎悪の感情想念は、この地球界の波動を醜く汚してしまうのであります。

そして、自分たちを叩いた国家の人々の上にその憎悪の想念波動を叩きつけて

くるのです。

 

それは皆さんの中でも理解できない人があるでしょうが、その想念波動は、肉体があるなしにかかわらず、相手国の上に襲いかかってくるのです。ですから、武力によっての世界平和の達成ということは絶対にでき得ないことなのです。

世界平和はお互いの生命が真実に融合した時にできるのであって、生命を和合させぬ想念波動があっては、到底達成されないのです。

そこで私は世界平和のために武力をもつということは、この世では世界平和は達成されないと思っている人々の思想であって、それはもうすでに過去の時代の思想であることを人々に知らせたいのであります。

 

よく、強盗が襲ってくる気配があるのに、その防備をしないということがあるか、

国家もそれと同じことだ、というような言葉をききますが、強盗は強盗自身も

自己の行為を悪と是認しております。すべての人々が悪と思っております。

 

そういう相手を倒すのと、その国家のために忠誠を尽している人々を殺傷するのでは、全く意味が違うのでありますし、その戦いにおいて宇宙世界に及ぼす

不調和波動が非常に大きな悪い影響を地球世界にも他の星々にも与えるのであります。

 

そういう真理を知らない人々に、一日も早く、真理を知らせ、日本の真の理想と天命を知らせたいものであります。そのための世界平和の祈りであるのです。

個人がその職務を完うするために戦うことは是認せられても、国家がそうした個人の犠牲の上に、自国の権威を示そうとすることは、地球平和を乱す悪行為ということになるのであって、私どもはあくまで、日本国家をそうした方向に持っていってはいけないのであります。永遠の生命を人類に確立させ、世界完全平和達成の先達となるための働きを、私たち一人一人が心をこめてなしつづけなければなりません。

 

あらゆる国家民族というものは、お互いが他国と違った特徴をもち、天命をもって

いるのであって、その天命を各国が完うすることによって、この地球人類が一段と高次元の世界の住者となり得るのであります。

 

そのさきがけの世界平和の祈りであることを、皆さんどうぞ心に銘じていて下さい。

そして、日々の祈りに精進して下さい。やがては、皆さんの祈りに同調してくるが、日本中に満ちてくることでありましょう。

 

★ 暗黒思想を消滅させるもの

ところが、ここで問題になってくることは、やはり、世界制覇をめざして、着々と思想謀略を計っている国家や集団があることと、虚無主義的な破壊思想をもっている集団のあることなのです。

これらの国家や集団は、日本の労働争議や学校騒動などを牛耳り、あらゆる手段をもって、日本の現在の政治体制を根底からくつがえして、自国や自分たちの思想のままに、日本を操ろうとしているのであります。

 それは単なる共産主義者たちだけではなく、もっと奥深い暗黒思想なのです。

 

ですから表面に現われている共産主義者や、共産主義国を叩いたとしても、それでよいのではない、と私はいっているのです。

  こういう謀略をよく知っている憂国の人たちは、その謀略を防ごうとして必死に

なって活動しているのでありますが、現実的には、そういう謀略を受け入れ易い

状態が世界中にあり、日本にもありまして、現在の宇宙観や人生観では、とても

その侵略を防ぎ得るわけにはいかないのです。

そこで憂国の人たちは、心痛しながらも、そういう謀略があるのだ、日本の危機だ、世界の危機なのだと叫びつづけるだけで、どうにも具体的な手が打てずに切歯扼腕しているのであります。

そこでどうしても、国内防衛のためにも、外交政策のためにも、軍備を充実させねばならぬ、というように武力に頼る方向にその主張が向いていってしまうことになるのです。

 

私なども現実的な面だけをみている時には、その人たちの気持がよくわかるのですが、そういう主張がかえって、暗黒思想団体の謀略のうまい口実になり、

日本の右翼が日本を再び軍国主義にさせようとしている、というような喧伝をして、民衆は大体もう戦争にはこりごりしていますので、そういう喧伝にうまく乗ってしまい、日本の思想が分裂させられてしまうのです。

 

  このように、日本の思想が分裂していることが一番危険なことだと私は心配するのであります。日本の思想が分裂していることは、何かの拍子に火がつくと、内乱にまで発展しないとはいえないのです。

  暗黒思想の謀略は実に危険であり困ったものですが、これを抑えるのに軍備というのも、業因縁の流転でありまして、これではいつまでたっても日本の平和も世界の平和も成り立たない、と私は説いているのであります。

   ですから、どこからどこまで考えても、結論としては、神のみ心の大調和精神に

沿って、世界平和の祈りを根底にして、すべての行動としてゆかねばならぬという

ことになるのであります。

今日の世界では、今までのような神を離れた、小智才覚だけの生き方では、自分をも国をも人類をも守り得ないことが明らかになってきているのです。そのことを、つきつめて考えてみることが、人々にとって必要なのであります。

  共産主義をも、その底に暗躍している暗黒思想(こういう存在を知っている人はあまりいないのですが、一口にいうと、自我欲望のためなら、人を殺そうと、自国を売ろうと、他国を滅ぼそうと、如何なる卑劣な残酷な手段をもっても自己の欲望を達成するという、それでいて、表面の姿は立派な社会人であり、高位高官であったりする)をも消滅し得るのは、救済の大光明の光明波動よりないのです。

 

★ 純潔なる平和の祈りこそ真の力

先程から何度びも申しておりますように、表面に出ている共産主義者や共産国を、いくら武力で叩いても、この暗黒思想団体は武力で叩くことはできないのです。

何故かといえば、彼らの正体は実に巧妙に隠されていまして、どのようにしても、その正体を明らかにすることができないからなのであります。

 

 

この人類の中には、普通人の心ではとてもはかり知れないような存在があるの

でありまして、正しい良識者たちの頭で判断しただけでは、どうにもならない人物や事柄がたくさんあるのです。

こういう人類に必要でない存在を消滅せしめるのは、祈りの力より他にないのであります。武力でも金力でも作戦でもなく、祈りによって地球人類の上にひびきわたる、神の光明と、大調和科学による波動調整によるより他に方法はないのです。

 日本の運命を案じ、世界人類の滅亡を防ごうとして、各種の運動をしている、愛国者や人類愛に燃えている人々が、いても立ってもおられぬ気持で日々を送っておられるのはわかりますが、焦燥のあまり、武力に頼ろうとしてしまったら、暗黒思想者たちの思う壷であることに想いを至し、あくまで、徹底した平和主義を貫き通さねばなりません。

 それには、この小論文でくどくどと申しておりますように、この世の出来事の目にあまる事柄もすべて消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に投入し、平安の気持ちになって、日本人全員の気持を、完全平和達成の希望の道である、平和の祈りに統一してゆくことが何にもまして大事なのであります。

 

現在の日本は、天皇の下に帰一する心になることは悲しいながらできません。

 

そこでどうしても、人類全般の大願目である、世界平和を願う想い、一歩進めて、世界平和の祈りの中で、日本人の心を帰一させてゆかねはならぬのです。

一億人民の光明心こそ、世界人類すべてを大光明化する、唯一無二のものとなるのであります。これこそ、日本民族の天命であり、理想でもあるのです。

 

私どもは神の大愛を信じきっております。神の大愛が、心の底から平和を熱望する日本民族の悲願を受け入れないわけはありません。

 

この平和の心は純粋であって汚れがあってはなりません。

片手に武器をもった平和の祈りなどあるものではありません。

そうした純潔なる平和の祈りこそ、神の大愛を真直ぐにこの地球世界に及ぼし得る祈りなのであります。

私たちは身命を投げうって、この道を貫き通してゆきたいものであります。

 

(以上、「「日本の心」五井昌久著、白光真宏会出版局刊より転載)

 ◎令和元年8月25日、富山市における福瀬くに子氏講話会の資料からお許しお頂き掲載させて頂きました。(I)

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