白光真宏会-北陸

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2018年6月23日 12時43分・沖縄慰霊の日 平和の詩「生きる」全文:沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん

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私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

◎沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん(沖縄と日本と地球を代表して相良さん『平和の心と感動をありがとう』。「世界人類が平和でありますように」)

 

祈りの力

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 祈りや瞑想が個人の精神や肉体に好影響を及ぼすことは、多くの研究によって科学的に証明されつつある。例えば、瞑想に習熟した仏教僧の脳波では、精神的安定を示すアルファ波が多いことがわかっている。これに対して、瞑想をしない一般の人では、ストレスと関係するベータ波が多い。ストレスが様々な病気の引き金になることが知られているので、アルファ波の優勢は健康状態の改善につながる。そういえば、座禅する禅僧には長寿の方が多い。
 最近では、祈りと瞑想が遺伝子レベルにまで影響を及ぼすことが解明されつつある。遺伝子研究の専門家である筑波大学名誉教授の村上和雄博士が、高野山の僧侶における遺伝子発現の活性化(オン・オフ)を調査したところ、僧侶に多く発現する遺伝子が見つかった。それらの遺伝子はいずれも、ウイルスの増殖を抑えたり、感染した細胞を除去したりすることが、遺伝子レベルで判明したのである。
 祈りにはさらに不思議な作用があることを、英国の科学ジャーナリスト、リン・マクタガード女史が報告している。意識と物質の関係に関心をいだき、量子力学をはじめとする最先端科学の現場をレポートしてきた彼女は、あるとき思い立って、自分でも意識と物質の関係についての実験を始めた。この実験は、多くの科学者の協力と助言を得て、試行錯誤しながらも、科学的にも検証可能な形で進められた。その結果は、彼女のそれまでの科学的常識を覆すものであった。
 彼女は最初、8人の瞑想グループを結成し、そのグループに遠隔地に住む病気で苦しむ人に癒しの祈りを送ってもらった。すると、その人には医者が驚くほどの改善が起こった。いくつもの8人グループに同じような祈りをしてもらったところ、その大部分で信じられほどの改善が起こった。
 遠隔地にある大麦の種に成長を促す祈りを送ったところ、祈りを送られた種は、何もしなかった種よりも、はるかに成長が早かった。さらに、もっと大勢の人の参加を得て、当時。内戦で毎日多くの人々が殺傷されているスリランカに平和の意識を送ってもらったところ、翌週、死傷者の数が劇的に減少した。
 数々の実験を通して、マクタガード女史は、意識が物質世界に影響を及ぼすという事実をまのあたりに見せられたのである(「パワー・オブ・エイト」ダイヤモンド社)。
 祈りとは自我欲望にもとづく単なる心弱い願望ではない。祈りには個人を変え、世界を変える偉大な力があるのだ。誰でも日常生活の中で簡単にできる祈りが世界平和の祈りである。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年6月号。ESSAYより。世界人類が平和でありますように (I)

2018年5月14日。福井県護国神社にピースポール建立。

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2018年5月14日。福井県護国神社にピースポール建立

5月13日の福井県護国神社での正式参拝・印の奉納・祈りの会(23名参加)の午前中に建立予定でしたピースポールが、本降りの雨で翌日の14日に延期になりました。14日は時折日が差す最高の建立日和になりました。また、鳥居の横の一番良い場所に建立許可を頂き神々様の喜びが全身に伝わり感動と感謝で建立出来ました。(撮影・ピースポールの寄付・池端靖子様)(I)180514_1154~01 180514_1154~03(●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してピースポール建立などの平和活動も行っております。)

忖度(そんたく)

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 札幌の隣の当別村(現在は当別町)出身の佐々木友次さんは、飛行機が大好きな少年だった。1923年生まれというから、私の父より一歳年下である。私の父は歩兵として満州に出征させられたが、佐々木さんは最初、逓信省航空局に入り、その後、飛行士としての訓練を受け、戦局の悪化に伴い、特攻隊に編入された。
 特攻隊というと、飛行機ごと米艦に体当たりする攻撃方法で知られている。佐々木さんも上官から、体当たりして死んでこい、と命令されたが、攻撃の目的は貴重な飛行士と飛行機を失うことではなく、敵艦に打撃を与えることなのだから、爆弾を命中させれば、飛行士も飛行機も何度も使えるはずだ、と主張して、体当たり攻撃をやめ、爆弾を命中させる戦法を取った。その結果、九回も特攻攻撃に出動しながら、奇跡的に生き延びた(鴻上尚史「不死身の特攻兵」)。
 当時、上官の命令は、どんな理不尽なものでも、天皇陛下の命令と等しく、それに背くことは許されなかった。多くの特攻隊員は、自分は安全な立場にいながら、部下に死を強要する上官に激しい憤りを感じながら、死地に赴いたようである。しかし、佐々木さんは、理解ある上官もいて、自分のまっとうな主張を貫いたのである。
 現在の日本でも、会社などの組織に入ると、上司の無理な要求に圧迫されて、過労死をする人が後を絶たない。特攻隊と同じような状況だ、と言ったら言い過ぎだろうか。
 欧米人の個人主義に対して、日本人の集団主義ということは、昔からよく言われていることだが、昨年は「忖度」という言葉が流行語大賞になった。辞書によれば、「他人の気持ちを推しはかること」という意味だが、官庁組織では、上位の権力者の意向をくみ取り、それに合わせた言動をすることを意味するようだ。公正であるべき行政が歪められているのではないか、という疑問が「忖度」という語にはつきまとってくる。
 しばらく前には「KY(空気が読めない)」という言葉がはやったが、この言葉も、個人の考え・主張よりも、集団やその場の「和」を重視している。
 組織の上位者から言われたことをそのまま遂行し、周囲の人々と同じことをするのは、個人の責任は問われないので、ある意味では楽な生き方である。しかし、その集団圧力に流されて、自分の生命までも危険になったり、法律や官僚としての倫理を逸脱するようになっては本末転倒である。それは真の「和」ではなく、付和雷同である。集団がおかしな方向に向かっているならば、佐々木さんのように、忖度せず、それにあえて異を唱えることも必要ではなかろうか。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年4月号より。(I)

きいちゃんのこと(障害児)ー 妹は私の誇りです。1/4の奇跡。「強者」を救う「弱者」の話。から

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 きいちゃんは、小さいときに出た高熱が原因で、思うように手や足を動かせないという障害を抱えたお子さんでした。
 ベッドから起き上がる、食事をする、トイレに行く、といった日常のいろいろなことを一人ですることが難しい、そんな障害を持った女の子でした。
 きいちゃんは、どちらかというと暗い印象で、「どうせ私なんて」というのが口ぐせ。いつもうつむいて、笑顔をみせることもありませんでした。

 でもある日、そんなきいちゃんがとてもうれしそうな表情で、「山元先生」と言いながら、私のところへ飛び込んで来てくれたことがありました。
「きいちゃんどうしたの」と尋ねると、きいちゃんはこう言いました。「こんどお姉ちゃんが結婚するのよ」
 こんなうれしそうな顔のきいちゃんを見たのは、初めてです。
 私もうれしくなって、「そう、よかったね」と一緒になって喜ぶと、「ねえ、山元先生、結婚式ってどんなの? 私、どんな服着ようかしら」と、きいちゃんはいつまでも胸を躍らせているようでした。

 ところが、その数日後。きいちゃんが机に顔を伏して泣いています。
 どうして泣いてるの、と聞くと、「お母さんが私に、『やっぱり結婚式に出ないでほしい』って言うの。お母さんは私のことが『恥ずかしい』と思っているのよ。お姉ちゃんばかりがかわいいんだわ、私なんて、生まなければよかったのに」
 と、言葉にならない声を出して、きいちゃんは泣き続けるのです。
お母さんは、お姉さんのことばかりかわいがるようなかたではありませんでした。どちらかというと、きいちゃんのことを、本当にいつも気にしておられるようなかただったのです。
 お母さんの本当の気持ちはわかりませんでしたが、もしかしたら、結婚式に出ることで、お姉さんやきいちゃんが肩身の狭い思いをするんじゃないか、と考えられたのかもしれません。
 私は、きいちゃんに、すぐに声をかけることができませんでした。何を言っても、彼女を傷つけてしまうような気がしたからです。

 しばらくして私は、「じゃあ、お姉さんに贈る結婚式のプレゼントを作ろうよ。浴衣なんか、どうかな」と、きいちゃんに提案しました。
 きいちゃんは泣くのをやめて、コクリとうなずきました。
 でも、正直に言うと、手足に重い障害があるきいちゃんに、浴衣を縫い上げることはできないだろう、と思っていたのです。
 ひと針でもふた針でもいいからきいちゃんに縫ってもらって、あとは全部、私が縫えばいいかな、ミシンだってあるし、と安易に考えていました。
 ところが、きいちゃんは「全部、私が縫う」と言い張るのです。
 針の先で、何度も指を突いてしまうので、練習用の白い布が、すぐに血で赤く染まってしまいました。でも、きいちゃんは「大丈夫。大好きなお姉ちゃんのためだから、私、ががんばるよ」と言って、学校にいる間も、寮(きいちゃんは実家から離れて暮らしていました)にいる間も、ずっと縫い続けていたのです。
 結婚式のちょうど10日前。とうとう浴衣が出来上がりました。
 驚くことに、きちゃんは、浴衣をほとんど一人で縫い上げてしまったのです。本当に一生懸命に仕上げて、とても素敵な浴衣になりました。
 そして、その浴衣を離れて住むお姉さんのところへ宅急便で急いで送ると、すぐにお姉さんから電話がかかってきました。私ときちゃんに、結婚式に出てもらいたい、ということでした。
 きいちゃんだけでなく、私も・・・。
 お母さんのお気持ちを考えると、出席してもいいのか迷ったので、お母さんに相談の電話をしてみました。
「◯◯(きいちゃんのお姉さんの名前)が、どうしても出席してほしい、と言って聞かないんです。出てやっていただけますでしょうか」
 お母さんから、そうおっしゃっていただきました。

 私ときいちゃんは、結婚式に出ました。きいちゃんは、お母さんに新しいワンピースを買ってもらって、とてもうれしそうでした。
 ところが、式場に入ると車いすのきいちゃんは注目の的。きいちゃんをジロジロ見て、何かひそひそ話をしているのが聞こえてきました。
 「どうしてあんな子を連れてきたのかね。気の毒に」
 「あの子の面倒は、これから誰が見るのだろう」
 「お姉さんに赤ちゃんが生まれたら、障害のある子が生まれるんじゃないだろうか」
 きいちゃんはごちそうを前に、すっかりうつむいてしまい、「食べたくない」と言いました。
 やっぱり、来なかったほうがよかったのではないか。きいちゃんは、どんな気持ちで聞いていたのだろう。

 そのとき、お色直しを済ませたお姉さんが入場してきました。
 驚いたことに、お姉さんは、きいちゃんが縫った、あの浴衣を着ていたのです。
 お姉さんは、新郎といっしょにマイクの前に立ち、そしてはっきりとした口調で、こんなふうにあいさつされました。
 「皆さん、この浴衣を見てください。この浴衣は、私の大切な妹が縫ってくれたものです。妹は、小さいころに高い熱が出て、手や足に重い障害を持ちました。そのために私たち家族と、今も離れて暮らしています。両親と一緒に暮らす私を、うらんでいるんじゃないかな、と思ったこともありました。でも、そうじゃなかった。私は浴衣が届いたときに、涙が止まりませんでした。今、高校生で、こんな素敵な浴衣を縫える人が、いったい何人いるでしょうか。妹は私の誇りです」
 
お姉さんが話し終えると、シンと静まり返っていた会場は、拍手でいっぱいになりました。
拍手はずっと鳴りやみません。本当に、ずっと長い間、会場に拍手が鳴り響いていました。
 きいちゃんは恥ずかしそうだったけど、とっても、とってもうれしそうでした。
きいちゃんはそれからすごく明るくなりました。いろいろなことに挑戦したい、と言い、和裁を習い始めました。
 そして今、きいちゃんは、和裁を一生の仕事に選んでいます。

「1 /   4 の奇跡」山元加津子著マキノ出版 から。「世界人類が平和でありますように」(I)

愛は食に優り薬に優る(要約)。「人間の大地」犬塚道子著より

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 カオイダンキャンプ(タイにあるカンボジア難民キャンプ)内の病者テントの中に一人の子がいた。親も兄弟も死んだのか殺されたのか?一言も口にせず空を見つめたまゝ。衰弱しきった体に、国際赤十字の医師団はサジを投げた。薬も流動食も受けつけず、幼心に「これ以上生きて何になる!」と絶望を深く感じていたのだろう。

 この時、ピーターという一人のボランティア青年が、子を抱いて座った。子の頬をなで、接吻し、耳元で子守歌を歌い、二日二晩、用に立つのも惜しみ、全身蚊に刺されても動かず、子を抱き続けた。
 三日目にピーターの眼をじっと見て、その子が笑った。「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事に思ってくれる人がいた。自分は誰にとっても、どうでもいい存在ではなかった」…この意識と認識が、閉ざされていた子の心を開かせた。

 ピーターは喜びと感謝のあまり、泣きながら食と薬を子の口に持っていった。絶望が希望に代わった時、子は食べた。薬も飲んだ。愛こそは最上の薬であり、食べものなのだ。(要約)

 優しいという字は、ニンベンに憂と書く。つまり、人が苦しんでいるときに、そばでジッと一緒にいてあげること。このお話しは、先日友人が送ってくださった資料にあったのですが、以前どこかで似た内容を読み、感動したことがあったので、皆様にも是非お伝えしたく思いました。ピーターの優しさに涙しながら、マザーテレサの言われたことを思い出していました。

 「あの人たちは足ることを知っています。小さなことでも、心にしみるほどに感じ、感謝します。あの人たちは、貧しくて苦しくて、みじめな立場に身を置いて、私たちの愛や、優しさや、思いやりを、引き出してくれているのです」…と。

「ゆり根だより」より。世界人類が平和でありますように(I)

明治維新

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 今年は明治維新150周年に当たるということで、政府は様々な行事を企画しているようである。
 明治維新は近代日本を切り拓いた偉業として学校教科書にも記述され、多くの国民もそのようにイメージしている。そのような肯定的な明治維新観は、司馬遼太郎の維新小説の影響が大きいであろう。「竜馬がゆく」(坂本龍馬)「世に棲む日々」(吉田松陰・高杉晋作)「花神」(大村益次郎・木戸孝允)「翔ぶが如く」(西郷隆盛・大久保利通)は明治維新を推進した若者たちを英雄として描いている。
 しかし、近年の歴史学は、このような明治維新観に疑問を投げかけつつある。明治維新の影の部分が表に出てきたのである。その中でも、明治維新の主力となった薩摩藩と長州藩の謀略がクローズアップされている。長州藩内の若手過激派は倒幕の主導権を握るために、孝明天皇を長州に拉致しようとした。これに失敗するや、禁門の変で天皇の御在所である京都御所に攻撃を仕掛けた。倒幕の密勅も偽造と言われている。鳥羽伏見の戦いで威力を発揮した「錦の御旗」も、勅許を得ないで創られた偽造品であった。
 討幕派は「尊皇」攘夷という名目を唱えていたが、倒幕派は天皇を「玉」と呼び、自分たちの政治的目的を遂行するための手段と見なしていた。いったん政権を手に入れると、「攘夷」も捨てて開国に邁進した。「尊皇攘夷」は幕府から権力を奪取するためのスローガンだったのである。
 目的のためには手段を選ばないという傾向が、その後の明治政府に、とくに長州藩が中心となって創られた陸軍に継承され、それが日清・日露の戦争、アジア諸国への侵略、そして太平洋戦争へとつながったと見ることもできる。
 そもそも「明治維新」という用語が一般的に使われるようになったのは昭和に入ってからである。明治当初は「御一新」と呼ばれていた。1930年代に日本の軍国主義化が進み、その中で「昭和維新」が叫ばれるようになった。天皇親政を理想とする軍の若手将校が「昭和維新」の名のもと、5・15事件や2・26事件などのテロを起こした。その関連で明治維新という言葉も一般的になったのである。「維新」という言葉には実はこういう暗い波動がこもっている。
 明治維新は日本が近代化する上で避けては通れなかったプロセスである。しかし、そこにはまた、後年の悲劇を生む様々な問題も潜在していた。明治維新を一面的に賛美するのではなく、その光と影を正確に見つめ、同じ過ちを二度と繰り返さないために、日本の真のあるべき姿を確認することこそ、明治維新150周年になすべきことであろう。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」平成30年2月号エッセイより

五井昌久先生(空独尊)ご法話 「独り在るだけ」  1962年(昭和37年)4月14日(日)  

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  「独り在るだけ」
       1962年(昭和37年)4月14日(日)     五井昌久[空独尊昌久如来」

 

  ( 一 
   
あの世は在るかという事ですね。では、それについて答えましょうね。
本当は自分の想いが自分の世界をつくるのだから、実際のところは、肉体界も幽界も霊界すらもないのです。では何があるかというと、自分の心から出した自分の想念の世界があるだけなのですね。
 
   
私の云う「心」というのは、本心や神霊のひびきということでして、その本心からのひびきのエネルギーを使って、肉体(こちら)の自分が勝手に想い描いているだけなのだから、病弱でも不幸でも災難でも何んでもですが、現在の境涯というものは全部自分でつくったものなのです。

 だから、それは誰のせいでもないのです。それなのに、それを他人のせいにしたりして、それで自分の境遇が悪いなどとホザク奴がいたとするなら、その人は又々ホザク通りの世界をつくってゆくだけ。
 
   
このように、「あの世」というのも、また「この世」というのも、在ってなく、無くてある。だが、いずれも本当のものではない! 本当に在るものは宇宙神という光が唯一つ在って、その絶対なる光の分かれがこの肉体にまで来ているだけです。実在するものは宇宙神なのです。
 
   
逆に言い換えますと、宇宙神から分かれて自分がここにいますね。そうすると自分の他に人がいるわけではないということ。
 
   
ここに皆(みんな)がいるけれど、実は、それはこの自分が見ているのであって、この自分がいなければ誰もいない。自分の目だって手でふさげば何も見えやしない・・・。眠っていれば何も分からないのと同じで、自分がいなければ何も無いでしょう。結局、我在るが故に(、、、、、、)
皆があるのですからね。 
すると「この世の中で在るものは」自分だけということになる。自分ただ一人がある!宇宙神の中の自分ひとりがあるだけなのです。

  (  二 )

    ですから善いことも悪いことも、誰の責任というのでもなく全ては自分一人(いちにん)の責任なのです。そこで自分が偉く立派になるより仕方がないということになる。

    自分の心を正しく神のひびきと一つにすれば、目の前に現れてくるものは何でも神のみ心となってくる。
みんな神の光明になって現れてくるわけです。

   
自分の前にどんな悪い人や悪い事が出てこようとも、それは自分のものであり、自分の姿が映っているだけなのですよ。自分の出した誤った想念がそこに現れているだけだから、現れた事に文句を云うより、自分に文句をいった方がいいのだけれども、でも、それでは何の解決にもならないから、消えてゆく姿にして世界平和の祈りの中に入れなさい、というのです。
 
  
よく「私はあの人の為にこんな事をしてやった」「あんな事もしてやった」ということをいうけれども、そんな事はありゃしない! あの人もこの人もない! それは全て自分の為に尽くしているのであって、相手に尽くした事は自分にいいのだし、相手を憎めば自分が損なだけ。自分の他に人はいないのだかれね。
 
  
それなのに、あの人の為に尽くした、あの人の為に祈ってやったなどと「生意気な事を云うな」と私はいう。あの人の為に尽くすもなければ、あの人の為に祈るもないのですよ。それは全て自分の為にやっていること。自分しかいないのだから、自分が祈りそのものになればいいというわけです。
 
  
それから一々他人(ひと)と比べる者もあるが、比べる必要も全くない。自分が立派になること以外にすることはない。そうすると此の世もあの世もなく、在るのは宇宙神のひびきに光が在るだけということが、私たちにはよく分かる。
 
  
いいですか・・・
 殴った奴は殴られる!
 奪ったものは奪われる!
 与えたものは与えられる!
というのは当然のこと。

  
だから、果たすべきは果たさなければならないし、尽くすべきは尽くさなければならないようになっている。
私のように前生からの事が分かれば先手を打つこともできるが、でも普通の場合は分からないでしょう。

 そこで突然急に貪り(むさぼ) 取られて騙されように見えようとも、やられた事は、それがどんな嫌な事でも辛い事でも、これは過去世の因縁を返したのだな、これで私の本心が開きました。
 
私は心が身体(からだ)がきれいになりました。″ああ有難うございます″というような気持ちになれば、その人は本当に天晴(あっぱ)れですよ。そうなれば、もう不平も不満もないでしょう。そういうのが本当の宗教的な事というのですからね。

    ( 三 )

 そこで横の考えとしては、何でも置かれた環境は全て過去世の因縁の消えてゆくものとして、ここに現れて来ているのだと受け止め。
 
   
縦の考え方としては、自分は神と一つであり、自分が光ることは神様が光ることだし、自分が立派になることは神様を顕現すること。だから何も他人(ひと) のために尽くしているのでもなく、全部自分の為にやっているのだと思っていれば、そのまま神様を顕現すること。だから誰のために尽くしているのでもなく、全部自分の為にやっているのだと思っていれば、そのまま神様のみ心に適うことになるし、それが神様への本心への奉仕にもなるというのです。
 
  
こうした縦横の考え方を踏まえていれば、後はもう一々あれこれ詮索しないでも、消えてゆく姿で世界平和の祈りをするだけでいいのです。
 
  
そこで一番大事なことは、他人(ひと)のことはどうでもいいんだ・・・本当はね。それよりも先ずは自分が立派になること。自分が本心の中に入って神様と一つの生き方になる事であって、他人(ひと)が何を言っていようと、何をやっていようと、そんなことは知ったことではないし、目をくれることもない。そんな事は全部消えてゆく姿。いいものは残るし悪いものは自然に消えてゆく。やがて先生が全部消します!
 
  
だからあんまり他人の事には気を揉まないで、そんな事に無駄なエネルギーを使わないで、寛大な心になって、先ずは自分が平安で幸せに生きること。
そうすればこの世は黙っていても平和になりますよ。 (五井先生ご法話・音声

  

平成29年10月21日(土)、富山県の牛岳山頂近くのピースポール立替(標高約千メートル)。

富山ブログ

台風21号が日本に接近中の10月21日、富山の法友4人で牛岳山頂近くにある牛嶽大明神の境内に立っていたピースポールの立て替えをしました。ピースポールは長年の風雪により大きく傾き、基がひび割れていました。

新しいピースポールは、前のものよりも深く埋設して雪により耐えられるようにしました。

立て替え後、皆でピースポールのまわりで世界平和の祈りを祈り、人類即神也の印を組んだ後、祠の前で神様にご挨拶をして、祠のまわりで4人で四方に向かって神聖復活目覚めの印を7回組みました。

その後、建て替えたピースポールのまわりで記念写真を撮っていると、雲間から太陽が現れて祝福してくださいました。

牛岳は、標高約千メートルで、360度の眺望があり、砺波平野、富山平野、富山湾、立山連峰が見渡せます。

新しいピースポールから世界平和の響きが四方八方に放たれているように感じました。

のるかそるかの大変な年に立て替えをすることができて本当によかったと思います。

世界人類が平和でありますように 無限なる感謝!(記:寺尾)

牛岳1(変換後)  立山連峰と牛岳山頂近くにある牛嶽大明神の境内の新しいピースポール。

牛岳3(変換後)
 (●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してピースポール建立などの平和活動も行っております。)

『戦わない闘い』 : 青い鳥通信第72号から

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 先日、NPO 法人の関係者を対象とした映画の試写会がありました。『カンタ・ティモール(ティモール万歳!)』というタイトルの映画です。映画の題名となった東ティモールは、2002年にインドネシアから独立しましたが、20年の独立運動の間に、人口150万人のうち、実に1/3 の50万人が殺されました。

 映画の中では、残虐な処刑シーンや死体、イラストによる拷問やレイプのシーンもありました。(この映画には、視聴年齢の制限があります。)しかし、多くは東ティモールの方々の笑顔や子供が楽しそうに遊ぶシーン、歌や踊りのシーンで、悲壮感はありません。

 インドネシア軍による蛮行(その資金の一部は日本政府からの支援金も含まれているのですが、東ティモールには石油やレアメタルなどが産出されるため。)にもかかわらず、東ティモールの方々は武力での抵抗をせず、インドネシア軍の捕虜に対しても殺害することも、拷問することもせず、「なぜこんなことをするんだ。私たちは家族や仲間と仲良く暮らしたいだけだ。自分たちの文化や森や神々の住むこの土地を大切にしたいだけだ。」と彼らは間違いをこんこんと諭し、無傷のまま釈放しつづけました。 20年も繰り返しますが、自分の妻をレイプし、両親や兄弟や子供たちを殺したかもしれない相手をですよ。

 彼らの無抵抗の闘いは、やがてインドネシア国内からも、ティモールの人々を殺すな、東ティモールの独立を認めろ!との運動となり、インドネシア国内の世論を無視できなくなった政府は東ティモール独立の是非を問う国民投票を余儀なくされ、数々の弾圧にもかかわらず、90㌫以上という圧倒的多数の賛成で見事に独立を勝ち取りました。

 これだけの死者を出したにもかかわらず、東ティモールには孤児がいないのです。村全体で子どもを育てているからです。映画のラストシーンでの、すべての子どもを殺された老人の言葉には特に感動しました。「ひとりぼっちになってしまった。悲しいよ。でも、恨んじゃいない。今日を歌って踊って楽しく過ごすだけさ。」と
 ティモールの方々は武器を持って戦ってはいません。彼らが闘ったのは、インドネシア兵ではなく、悲しみや苦しみ、恨みや憎しみという自分自身の暗黒面(エゴ)です。そして、見事に勝利し独立を勝ち取ったのです。皆さんはスターウォーズのラストシーンを覚えているでしょうか?主役のルークは最後に剣を捨てました。それがダークスペイダーを暗黒面(エゴ・とらわれ)から開放することになりました。

 東ティモールの人々の闘いは、武器こそ手にしていませんが、壮絶な闘いでした。その闘いに勝利した方々が100万人もいらっしゃったとは、なんと心強いことでしょう。イエス・キリストは死の間際に、処刑人を許す仕草をしたとされていますが、彼らの中にも同じ尊さを強さを感にさせていただきました。いずれ、呉でも上映の機会をつくりたいと思います。

(平成25年4月号 青い鳥通信第72号 から)

「世界人類が平和でありますように」の祈りは東ティモールの人々と同じ心同じ行為です。(I)

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