神性復活の扉 : 「小さな勇気、小さな実行」 中野利夫
白光四月号「神性復活の扉」コーナーの ”些細な瞬間の大きな喜び”という原稿をよみ、私自身にも日常から神性を実感する体験がありましたので投稿しました。
私は散歩の際、道に落ちているゴミが目につき、とうとう見過ごすことが出来なくなり、意を決して拾うことに致しました。ゴミを拾うこと自体は簡単なことですが、どうしても人目が気になります。
その時「相手と対した時、相手の目を見てはいけない。目を見るとエネルギーが奪われる」という武道の師匠から弟子への教えの言葉が心に浮かびました。実行してみると驚くほど心の自由を得て、ゴミを拾うことが出来るようになりました。そして拾う時、「我即神也」「人類即神也」「私は宇宙神の光の一筋である」等の言葉を心の内で唱えると、さらに余裕をもってゴミ拾いが出来るようになったのです。
そのうち今度は所々に花を植えることを思いつき実行したところ、徐々に小さな子どもからご年配の方までさまざまな方が挨拶の声をかけてくれるようになりました。また、ご自分の庭から持ってきてくれる人、同じように花を植えてくれる人、知らない間にそっと花を植えておいてくれる人も出てきました。
ある時は、私が歩いていると知らない人が「あそこに大きなゴミが落ちていたよ」と教えてくれたこともありました。家に帰り、家内と娘にそのことを話すと二人とも大笑いでした。また「最近姿が見えないのでどうしておられるのだろうかと思っていました」と声を掛けてくだする方もいました。
またある日、若い女性が嬉しそうな顔で「おはようございます」と気持ちの良い挨拶をしてくれました。まったく知らない方なのですが、その女性は私がゴミ拾いや花植えをしていることを知ってのことだということが瞬間的に理解できました。その時は天使から清々しい挨拶を受けたような嬉しさを感じ、「神性復活」とは人と人との快い心の交流の復活だと思いました。
また、同誌四月号の五井先生の詩のコーナーに対して、共感の想いが生まれる出来事がありました。
私が参加している集会では会の最後に「世界平和を祈る歌」と、その月の聖歌を歌うのですが、三月の集会では「こころ」を歌いました。最後の歌詞を歌った時、心に閃きのようなものを感じたのです。すると、白光四月号の五井先生のコーナーで「こころ」が掲載されていて、偶然のことながら驚きと喜びを覚えました。
ここ二~三年は心にわだかまりあったのですが、今そのわだかまりの下から神性の芽吹きの温かさのようなものが感じられ、それらが薄れていこうとしています。五月に開催されるSOPPの中での「富士宣言」の祝典を前に心が開放され、有難く嬉しい気持ちでいます。
五井先生の詩や短歌はみ教えを短い言葉で表現されていて、極意のようなようなものを感じられる気がします。
人と人とをまんまろく
天と地とをまっすぐに
つなぐ光の波でした
すべては完璧 欠けたるものなし 大成就
無限なる感謝
(山口県下関市)
【「白光」誌 2015年6月号より】