食肉解体 学んだ「いのち」。「すごか仕事」息子の言葉支えに。(熊本の坂本さん)
「講演で思い 伝え続けたい」
食肉解体の仕事に携わる男性を主人公に、息子や一頭の牛とのエピソードを描いた絵本「いのちをいただく」のモデルで熊本市の坂本義喜さん(57)が、今年度末で同市食肉センターを退職する。
2008年の発刊以来、生きることと食べることを見つめ直す作品として感動を呼び、昨年度末には児童向けの新絵本も出版された。退職後は本格的に講演で全国を回る予定で「食べ物になってくれた動物の思い、感謝を伝えたい」と話す。【青木絵美】
坂本さんは二十数年前からセンターに勤務。父も同じセンターの職員だったが「小さい時に父をみて、血がいっぱいつくのが嫌だったし、仕方なくやるという気持ちだった」。
始めて3年ほどしたころ、転機が訪れる。
センターに連れてこられた一頭の牛との出合いだ。女の子が愛しそうに付き添い「ごめんね」と語りかけていた。聞けば「みいちゃん」と名付けられ、家族同然の存在だという。「肉にできん」。坂本さんはためらった。
背中を押したのは、当時小学3年生だった息子の忍さん(33)だった。少し前、忍さんは学校の先生から「お父さんの仕事ばせんと誰も肉ば食べれんぞ。すごか仕事ぞ」と聞かされていた。「お父さんの仕事はすごかとやね」。息子のその言葉が支えになった。
迎えた解体の日、坂本さんが「みいちゃん」をなでると、牛は涙を流した。「牛の涙は初めて見た。怖かったんだろうって知ってね。自分の仕事は、少しでも苦しい思いをさせずにあの世に送ってやることだと分かった」。
この時の思いを知ってほしくて、仕事の合間を縫って細々と講演を始めた。
その話しに強く心を動かされたのが福岡県行橋市の助産師、内田美智子さん(56)。性教育や食育に関する講演など各地を回る中、8年ほど前、ある小学校で偶然、坂本さんの講演を聞いた。耳を傾けるうちに引き込まれ「多くの人に知ってほしい」と出版を提案。坂本さんも快諾した。
08年に出版された絵本は約10万部が出版された。その後、漫画「家裁の人」を描いた魚戸おさむさんが書き下ろした絵で紙芝居やDVD化され、授業などで使われている。昨年末には小学校低学年向けに新たな絵本(講談社)も発売された。
坂本さんは、講演で出向く先々で給食の残飯の多さを訴える声を聞き「今は食があふれている」と憂う。一方、講演を聞いた子どもや親から「給食を残さず食べます」 「ピーマンも魚も命だけん、食べないかんね」 「子どもが『いただきます』を言うようになりました」といった感想が届く。 「本に『残さず食べよう』なんて一言も書いてないのに、命をもらって私たちが生きていることを子どもたちは感じている」と受け止め、伝えることの大事さを実感するようになった。
老朽化したセンターは来年度末に閉鎖予定で、人員整理が進む。解体作業は別の施設で行われるが、これを機に、坂本さんは多くの講演依頼に応えようと退職を決意した。 「これからは子どもたちの前で目いっぱい、動物たちの思いを伝えたい」と話している。
(2014.2.8 毎日新聞)