白光真宏会-北陸

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「君が代」森井啓二著×増川いづみ  「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」(参考資料)

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これは「きみがよ」を読み解くというよりも、高次元の世界へ飛翔するための道標であり、その最終局面に私たちは立っていることを自覚させてくれる素晴らしい著書であるように思います。

著書の中の言葉を少しだけピックアップしてみました。  (うちなだ集会・塩谷祐子)

 

「きみがよ」は 愛と智慧を凝縮した大樹の種子

読む人の霊的成長に伴って 愛と智慧が広がる大樹に育ち

次々と開花していきます

 

万物万象には 各々それ自体が奏でる 独自の音があります

花も樹も細胞も原子も そして人の思いも行動も 光も愛も

すべてが音楽的な波動で繋がり 調和しています

 

宇宙の中に人がいるように思えても

人は宇宙そのもの

宇宙の中で起きているすべてのことは

自分の中に起きていること

 

この二元性の世界では すべてに両極があります すべての極同士は 愛の力によって融合され

一つに戻ります

 

愛は 自我意識が持つ幻の境界を 消す力を持っています

すべてを愛で表現することが 自己と他の存在との境界を無くし 本来の一つに戻るための鍵

すべては一つ

 

心が光に向かい始めた時 心が神に向かい始めた時

人は自分の肉体や感情で作られた 制限から解き放たれ

この地上に来た目的と 自分が大いなる価値ある 存在であることを

理解します

 

私たちは光の種子 自ら進んで暗い土の中に入った勇者たち

今一斉に光の方向に向かって 芽を出し始めています

私たち自身の光の開花は 地球の波動をさらに光り輝かせ

想像を超える美しい世界の創造に 携わります

人は絶え間なく成長し続ける 光の存在です

 

男性性は常に攻撃性を有し、それを視えない形で優しく創造性な積極性へと変容させる力を持つのが女性性だからです。

霊性の進化には、強い男性性の推進力と探求心、それに愛を加えて光の方向へ向かわせる女性性のバランスが必要なのです。

自分で自分の眼球が見えないように、自分の心にある自我も心では見ることはできず、外側の世界の表現を通して知覚されます。

 

火は穢れを焼き祓い、水ははその焼かれた灰塵の穢れを流す役割を持ちます。そのため創造においても、浄化においても、火→水の順序になります。

 

遥か昔の地殻変動で現在の大陸の位置に落ち着いた際に、日本は世界の雛形として創造されました。

その時の創造に携わった魂たちが、新しい世界へ移行するための準備として、現在の日本に多く転生しています。

新しい世界では、思考が頭からハートに移ります。

瞑想をしているとハートのチャクラから光が放射されており、それが霊的太陽の分身であることを実感することでしよう。新しい世界は、この太陽(日の本)の光から始まります。

 つまり新世界は、日本が牽引役になるとともに、地球上すべての人に内在する日の本からも始まるのです。

 人は幾多の輪廻転生における経験を通して内在する真我に気づいたら、ハートにほのかな光が灯ります。その光は目覚めた高次元の存在に見逃されることはなく、それから偶然のように見える賢明な手段により、光明の世界へと誘われます。

 この二元性の世界と実在世界と大元神は、一から八までと、九十、〇で区別して表記されることがあります。一から八までは循環し、次元が上昇する時期に初めて九へと進めます。

そして、「言・ことば」と「事・こと」を使わなければ(宇宙の法則に従わなければ)到達できません。これは神の世界へ行くには、様々な「こと」(出来事)を体験することや、「ことば」に象徴される神の知性に従い導かれることが必須です。

 このような心を込めた日々の行為の積み重ねは、魂の進化に大切なのです。神を信じるということは、神社に行ったり、神事や儀式を見たり参加したりするだけでなく、日常生活において至高の神を信じて心を込めて生きることが何よりも大切です。

 この世界は自分の内面を映し出す鏡として存在します。清らかな思い、言葉、行いによって鏡を綺麗に磨けば磨くほど、自分の本当の姿がよく見えてくるはずです。そこに真の幸福があり、真の人生の目的が見つかります。

 

 人の意識の流れは 崇高な目的を持って生きること 神に向かうことが自然な流れです

 私たち自身に 神が内在しているのですから 叡智と愛の想像力を 自らの体験を通して

理解することが 本当の自分探しです

すべての叡智

すべての真理

すべての愛は 自分の中に内在しています

それは 頭を使って 知識として理解するものではなく

すべての思い 日々の言葉 そして行動を通して ハートで理解されるものです

 

大地は 私たちの身体を 形成する素材の源

地の元素は 集中力を高め 自信と落ち着きを強化します

忍耐強くなり 何事に対しても動揺することのない

強い意志と責任感 安定感が生まれます

そして すべての存在との 繋がりを保ったまま

高次の意識へと 飛躍することができます

 

火の元素には 太陽のエネルギーに 象徴されるように

愛する力を強化し 新しいことを始めるための

活力を与え 何かを遂行する原動力となり 心を熱くし

性エネルギーの活性化 生きる力の喜び 明るさ・発芽

成長させ 開花させ 熟成させる力や 直観を引き出す力があります

 

水の元素には 浄化 平和 安らぎ 潤滑

すべてのものをひとつに繋ぎ 広げ 調和する

大地と密接に関連しあう安定感

胎児が羊水の中にいるような心地よさ

川のように自由に流れ

湧き水のように湧き出るような

喜びや想像力があります

 

空には すべてを包括するような役割があります

すべてが空から発生し 空に収束していきます

空の元素が充実していると すべての元素のバランスが

とれやすく 気が充実し 自由で大きな広い心を

保つことができ 心に安らぎや余裕が出来ます

他の四つの元素が強化され バランスがとれてくると

空が覚醒してきます

 

木のエネルギーと繋がり 自然界の癒しの エネルギーと 繋がり合いましょう

樹木は根を通じて 大地と結びつき 幹と葉と枝を通して

太陽の力と結びついている 架け橋となる存在です

 

内なる体験(霊的な体験)を外側に公表することは、魂の進歩を鈍らせるだけでなく、霊的な能力を弱めてしまいます。・・・・・・・

それを人の為に役立てたいからという名目であっても、その根底にはエゴと、宇宙の叡智を無視した欲望があるのではないでしょうか。・・・・・・・・・

自然に開花した能力には、エゴがなく、霊的な意図に沿った有用な使い方が可能になると思います。その時には、多くの大師たちが行っているように、誰にもしられず自然な状態のまま人の役に立つことができるでしょう。

 

私たちの存在自体と行為のすべてを愛で表現することで、自己と他の存在との境界がなくなっていきます。心から海を愛すれば、海との一体感を感じます。山を愛すれば、山との一体感を感じるでしょう。そうして愛を深めていくと、あらゆる生き物、大自然、太陽、星々との境界線はなくなっていきます。そしてすべての二元性は消えていきます。

 

今回のような古い世界の終焉と新しい世界の始まる浄化の時期には、多くの困難と混乱が生じます。

様々な混乱は、新しい高次の光が地球に降り注ぎ、強まるに従って、今まで長い年月にわたって蓄積されてきた不調和な波動が表出することで顕在化していきます。それは人と地球の両方に起こります。

太陽は、人の集合意識を含む諸方からも影響を受けながら、黒点を作り、大規模なフレアを放出させます。

地球は自らの浄化のために、このエネルギーを効率よく捕捉してスムーズに流すために、近い将来に地軸を最適な位置に移動させるかもしれません。

このような物質世界の視点から見た混乱は、普遍意識から見ると秩序立ったものであり、地震も噴火も、戦争も飢餓も、すべては人智を遥かに超えた目的のために創り出されています。

 

世界の食糧問題を解決したいなら、まず自分の食生活を見直すことから始め、富の不均衡を直したいなら、まず自分の貧欲を消すことから始め、戦争をなくしたいなら、自分の攻撃性を昇華させることから始めなければなりません。

現在世界中で戦争が絶えないのも、一人一人の心の平安が足りないからでしょう。

ゴミ問題も、環境汚染も、一人一人の心に無駄な虚飾と過剰な欲望が存在するからでしょう。

心の汚染が世界の汚染に繋がっているのです。

この世界は自分の内面を映し出す鏡、心を澄ませることによって鏡を磨けば、自分の本当の姿がよりよく見えてくるはずです。

さらに、鏡に映る姿を美しくする方法は、自分自身を美しくすること。つまり、地に足をつけながら崇高な理想を持って、思いと言葉、行動を清らかにするよう意識することです。

清らかな思いと神を求める心は、霊性進化に必須の条件です。

例えば、電子メールを書いてもインターネットに接続していなければ、相手には伝わりません。それと同様に、清らかな思いと神を求める心が、インターネット接続と同じように、神に伝える役割を果たしています。

メールの送受信に地位や財産が関係ないように、神と繋がるためには地位も財産も重要ではなく、神を求める清らかな思いが最も大切なものとなります。

 

この世界では、思いと言葉と行動のうち、思いを軽視する傾向があります。多くの人は思考を、物質とは違って実体のないものと考えているからです。しかしながら実際には、思考された時点で、心に描いたすべての行動は存在し、その中の一部だけがこの物質世界の出来事へと顕在化します。顕在化されなかった思考も無ではなく、エネルギーとして実際に存在し、多くの人の思考に影響を与えます。例えば、感謝の気持ちは、物質と同じくらい実体があるものです。

それは視覚を超えた輝きに満ちた様々な形態を呈する光の躍動として表現されていて、その光の躍動は多くの人の心を高みへと導く助けになります。

これが、思いと言葉と行動が一致していることが大切な理由の一つです。

 

病気は、学びが多い課題であり、過去のカルマを効率よく解消してくれるだけではなく、その人の人生をより良い方向に導くためのもの、魂の進化のためにあらかじめ高次の意識によって仕組まれた計画の一部である場合もあるのです。

病気の治癒過程において、その病気の根本原因とまっすぐに向き合う体験をすることにより、病気以前よりも、さらに高い意識レベルへと進化する役割があるということです。

真の治癒は、単なる病気の症状の消失よりも、はるかに深いレベルで起こるものです。

 

 

現在はこの最終局面に来ています。

地球も人も波動が高まってくるにしたがって、もうこのような枠組みや境界、制限に囚われた仕組みは必要ない段階に来ています。

 

すでに太陽系には物質レベルの表現型を持たない惑星が存在しますが、地球も同様に物質世界からの視点では光の中へ消えてゆくように見えることでしょう。

そこに住む人々も波動が高まり地球とともに移行していく人と、別の惑星に魂の移行の場所を移していく人が出てくることになるでしょう。

 

「あいうえお」から「あおうえい」という本来の順に戻ることを「いはおとなりて」で表現しているのです。

 捕捉・本来の流れは「あおうえい」で現在の流れ「あいうえお」は物質文明の流れであり、これが霊文明として「あおうえい」の流れに戻る。「あいうえお」の「い」と「お」が入れ替わることによって頭の「あ」と最後の「い」つまり「愛」の中に、「おうえ」の働きが収まる。すべては愛の中にある。

 

自分が人にされた悪いこと他人のために行った善いことは忘れた方がいいでしょう。

 

古代の創世記の日本には、普遍意識に達した高次の意識を持つ集団が存在しました。

地球を去った後も日本には「和」の精神として、その集団の高い精神性の片鱗は、日本人の心の中に残り伝わっています。

そしてその影響は世界各地にも広がり、各地に日本の遺跡に残された印と同調する痕跡が残されています。

古代日本にいた大師たちは、地上では表現できないほどの美しい純白のオーラに包まれ、現在の地上の人々から見ると神のような存在として地球を見守っています。

彼らが地上時代にいた日本が、この時期に再び人類の進化の中心となる役割があることは必然なのです。

 

この与えられた短い時間の中で、私たちは太陽に向かって目を出す、すなわち真の自己を発見しなくてはなりません。

今までの混迷の時期には、多くの人が土の中で光を見失いました。

そして今、光の方向が明確になり、一斉に種子から光の方向に向かって芽を出し始めています。

芽を出すのに必要なのは、強い勇気と信念。

一度光に向かって土の外に芽が出たら、あとは眩しい光の中で成長し、美しい花を咲かせることができるでしょう。

自分のハートに積極的に光を取り入れてください。

それによって二元性は消えてゆき、至福の光が開花していきます。

そして私たち自身の光の開花は、地球の波動をさらに光り輝かせる助けとなり、想像を超える美しい世界の創造に携わることになります。

(君が代・https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784864712972

 

「私の一冊」小説 阿難(白光図書より) S・N

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このご著書を拝読するたびに感動するのは三つ要素のことと存じます。

 ① 登場人物の心理描写を深める際立った自然描写、そこから醸しだされる抒情性。

 ② いつの時代にあっても変わらぬ人間の愛の種々相、愛することの哀しみから愛しみへの  昇華のドラマ。

 ③ 全編んをつらぬく絶対の光明思想。大慈悲心、大慈愛。

今回は絶対の光明思想について、書いてみたいと存じます。

 ある集会場に出講した時のことでした。一人の青年から本書第二部の「提婆の最後」

の、あの含みの多いシーン“提婆は菩薩として我らを導きつづけてゆくのである”という釈尊の言葉について、質問を受けたのでした。最低地獄に落ちていった提婆がどうして菩薩なのか…?、誰もが疑念を抱く箇所です。

 私は、それまで学んだことを踏まえて精一杯お答えいたしました。しかし何かスッキリしないものが残っておりました。あの答えで間違いなかっただろうか、と気になりましたので、思い切って五井先生にお伺いすることとし、高橋編集長(当時)にそれを託しました。

 高橋編集長より頂戴したお手紙には次のような五井先生のお言葉が記されていました。

「人間本来みな仏である。それ以外のものはみな消えてゆく姿であり、消えてゆくのだ。提婆の場合も、悪いことはみんな消えてしまっているのだ」

私はいささか拍子抜けいたしました。もっと詳細なご解説をいただけるものと考えていたからです私のこの反応を予期されたのでしょう。高橋編集長は次のように付記してくださいました。

「……とすると、残るのは本心である提婆のみとなります。お釈迦さまの目には、過去世の業因縁の影である提婆は映っておらず、映っても前を通り過ぎる雲にすぎず、本来の姿である仏子提婆のみが映っていたのであろうと思います」

 あれから十年以上になりますが、このお言葉が了解(りょうげ)できたわけでわありません。この箇所こそみ教えの核心であると思うのですが、頭脳作業ではその核心に触れることはできないと、つくづく思わされます。

 「まだ、わからぬと見える。業生はみな消えてゆく姿である。実在するものは仏性のみである。この理がわからぬうちは、み仏の真の姿がわかりようがないのである」と、神界の五井先生が仰っておられるでしょう。

 阿難尊者のように「み教え、心にしみてわかりました。迷い心、全く消え去りましてございます」と、お応え申しあげられる日が、いつか私にも到来するのでしょう。

(白光図書読書感想文「私の一冊」より)

◎2019年11月10日の富山練成会の資料からお許しを頂き掲載させて頂きました。(I)

「宇宙の責任者はあなたです」斎藤秀雄

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   あなたの責任ではありません

 私はいつの頃か、又誰から聞いた話だったか、忘れてしまったが

「宗教は、神の前で懺悔をすることから始まるものだ」

と聞かされた記憶があった。

 そこで五井先生のお暇な時、是非聞いて頂こうと思っていた。

或る日、来訪者も一区切りして、誰もいなかったので、個人指導のお部屋を覗いて

 “先生よろしいでしょうか”

と、お伺いした

 “ああ、斎藤さんか、さあ、どうぞ”

 “先生、宗教に入ったら先ず懺悔をすることから始るものだと聞いていましたが、私は随分色々な人生を渡り歩いてきた男です。青年時代は社会主義運動のグループに入り、人類救済はこれ以外にないと思い込み命懸けでやっていた時代もありました。

 けれど、共産党の大検挙の時、取調中に肺結核から腸結核になり、もう危ういとといわれ、不起訴で仮釈放となったのです。

 それから、社会主義運動は一応断念して、長いこと忘れていた親孝行と平行できる商売の道に入り、色々やりましたが失敗に失敗を重ね、内地を食いつめて遂に満州に渡りました。

 そして、菓子屋の配達小僧を振出しに、興信所、運送店その他を経て、どうにか三年目には、小さな運送店を開店したのです。それを契機として貿易商、電気工具メーカー、土木業その他五つの会社を経営するようになりましたが、戦争―敗戦―敵地より引揚となり混乱の内地へ帰って来たのです。

 当時、まだ幼い子供五人と妻を養わねばならぬ責任があり、戦後の混乱の中でまともな職にも有りつけず、闇商人の仲間に入り経済警察の厳しい取締りを潜って、あぶない橋を渡りながら生活費を稼ぎました。

 その内、友人の経営している金融会社に入り、金々々の金融マンになって金集めに奔走したものです。親類や友人の後援もあって、三億円近い金を集め、その会社の副社長に就任したのです。それからというものは、お客さんの接待役となり、料理屋、キャバレーなどへ出入りし、紅灯の巷をお客様の接待をいいことにして遊び廻ったものです。こんなことは厳密にいえば背任横領になると思います。“

 私の言葉を遮って、五井先生が

 “斎藤さん、そんなことをくよくよ思う必要はありません。それは皆んな、あなたの御先祖の責任である業をあなたが替わりに消してきたものです。あなたの責任ではありませんよ”

 悪いことをしたもにだと思っていたが、宗教的に見れば、それは私の責任ではなかったのだと思い返して気が楽になった。

 あとで知ったことであるが、私の積んできた業を、殆んど五井先生が背負って消して下さったのだということが分かって五井先生に申し訳なかったと慚愧にたえなかった。

 五井先生の所へきたら、懺悔などもういらないのであった。先生にお会いした時、先生は私の前生の又その前の前生までも凡てお見透しでいらっしゃるのだ。只知っているぞと言われれば、こちらの心が痛むので知らぬふりをなさっていらっしゃるのです。

 “私に会ったら、もう、大丈夫ですよ”

 と、常々皆に、おっしゃっている意味が、それから、三、四年して理解ができるようになった。

   凡て、あなたの責任です

 それから、数年が過ぎた或る日、私は昱修庵に行き、先生にお昼をご馳走になり、二階で雑談をしていた時、先生が

 “斎藤さん、この新聞の写真をよく見てご覧なさい。ここにベトナムの戦災孤児の収容所の写真が出ていますよ。骸骨のように痩せて、お腹だけが膨らんでいる子供たちの哀れな姿が沢山のっていますね。斎藤さん、このベトナムの惨憺たる姿は凡て、あなたの責任ですよね”

 私は、先生の意外なお言葉にびっくりして“先生、私はベトナムに武器を売込んだことも、全くありません”

 “斎藤さん、ほら、この三面記事をご覧なさい。宝塚の資産家中川家遺産あらそいで、弟が兄を殺して、自首したという記事が出ていますね。これも、あなたの責任ですよね”

 “先生、私は中川家とは何の関係もありません”

 “斎藤さん、世界平和の祈りとは、凡ての世界を創造された大宇宙神のみ心から発しているものである。と、いうことは御存じですね”

 “ハイ、そのように先生から教えて頂いております”

“世界平和の祈りは、あなたが祈る時は、肉体のあなたが祈るのでなく、守護神さん、守護霊さんが祈っているのです。ということも御存じですね”

 “ハイ、そのように。思っております”

 “私のお弟子達の守護神さん守護霊さんは誰でも、皆んなこの世に生まれてくる前から霊界にある”救世の大光明霊団“という、地球世界を救済する目的のもとに結成された大霊団に参加しているのです。そうした関係があり”救世の大光明霊団“の中心者である私の所へ守護神、守護霊さんにつれられてきて私のお弟子になったのです。この救世の大霊団は、神界にいらっしゃる大宇宙神のみ心を地球世界に実現するために結成されたものです。

 ですから、世界平和の祈りを祈るということは、その元の宇宙神の心の中心(大生命)へ帰ることです。そして、大宇宙を創造された責任者の心になって、宇宙全体を、その立場から見直すことになります。その責任者の心になって再び地球に帰えり、地球を見直し、日本人なれば日本に帰りその町々を、自分の家庭を、地球の責任者として見直すのが世界平和の祈りの真髄ですよ。ですから地球上に宇宙中に起きた凡ての事柄は、あなたの責任だという自覚が世界平和への道です“

 “先生、ありがとうございました。先生の教えて下さっている世界平和の祈りのスケールの大きさを初めて解らせて頂きました”(白光・昭和57年1月号より)

◎2019年11月10日富山練成会の資料からお許しを頂き掲載させて頂きました。(I)

 

世界平和の祈りの大きさ

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    皆さんの統一が上達したから、世界平和の祈りの大きさを一度見せてあげましょう、と五井先生がおっしゃり、私達は先生と共に出発した。

 ふと気づくと、地球の上に出ている。地球が目の下にボールのように見える。また一段上ると、円盤が見えた。空飛ぶ円盤だ、と私は思ったが、

「あれは円盤ではない、銀河系宇宙です」

と先生は教えて下さった。銀河系宇宙まで世界平和の祈りの働きはふくまれているのだ。というひびきを感じた。と瞬間アーッという間にまた上がった。すると一杯に星が見える 星だと思ったのが先生のご説明で、その星の一つ一つが島宇宙(銀河系宇宙もその一つ)だとわかった。宇宙は全く大きい。その時、

「この宇宙を、大神様はハッと思う瞬間に大宇宙のある個処で今まさに創造している。その息吹き、その力が、世界平和の祈りなのだ」と先生がおっしゃる。

 この祈りを私達は祈っているのだから、このまま大神様の働きの一部を、私達が働いているのだということと。

「地球は大宇宙の一員であって、地球が浄まらなければ宇宙は浄まらない。ということは人類の一人でも浄まってなければ地球は浄まったということにはならないということです。一人一人が浄まり全人類が浄まるのが世界平和の祈りなのですよ」

 ということを五井先生より教えられたのでした。

               (統一実修会より要点筆記)

※この内容は富山練成会の資料から、講師の方より許可を頂き掲載させて頂きました。(I)

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