僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
学校の先生だって人間だから担任のクラスに好きになれない教え子がいたって仕方がない。が、それでもその子を気に掛ける先生かどうかで、道は分かれそうだ▲
その先生が5年生の担任になったとき、服装が不潔でだらしない少年がいた。どうしても好きになれずに、中間記録には少年の悪いところばかりを書き込んだ▲あるとき、少年の1年生からの記録が目に留まった。もともとは朗らかで勉強もよくできたのに、母親が病死して希望を失い、父親から暴力を受けていたと知った▲
「心に響く小さな5つの物語」(致知出版社)に収められている実話である。このとき先生の心は激しく痛んだ。そして少年に声を掛け、教室で毎日、彼の予習復習に付き合った▲
結末が心に残る。1年間だけの担任だったが、節目ごとにカードが届くようになった。彼が医師になった。結婚式の招待状が来た。「母の席に座ってください」と書かれていた▲別のカードには心からの感謝の言葉がつづられていた。「あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます」と▲
さまざまな事情を抱え、多感な年頃ゆえに悩みも深い。少年少女と向かい合う先生はつくづく大変だ。近頃は事務量も膨大でこの上もなく忙しい。「神様のよう」と言ってもらえる機会を、先生から奪っていやしないか、と気掛かりだ。
2018年3月4日。福井新聞「越山若水」より。世界人類が平和でありますように(I)