白光真宏会-北陸

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真珠湾 (月刊新聞「世界平和の祈り」より)

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 阿部首相は2016年12月27日午後(日本時間)、オバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館を訪れ、戦没米兵に黙祷を捧げた。

 言うまでもなく、真珠湾は日米開戦の地である。この戦争で多くの日本人将兵が、そして広島・長崎や沖縄や東京では多くの民間人が殺された。しかし、敗戦によって、日本は戦前の非民主的な軍国主義から開放され、民主的な平和国家として新生した。このような大きな犠牲がなければ、現在の日本は生まれなかったのである。

 世界平和の祈りの提唱者・五井昌久先生は、真珠湾を1971年(昭和46年)8月15日に訪れた。そのときハワイの神様から、真珠湾攻撃の意義について、次のようなメッセージを受けた。

 「真珠湾攻撃は、日本が仕かけたのでも、米国が誘いの隙を見せて、日本に仕かけさせたのでもない。日米双方の業(カルマ)を浄めるために、そして、日米双方が真実の兄弟として力を合わせて、人類世界の進化を計るために、神によって計画された戦いであった」

 ハワイの神様はさらにこう続けた。
 「アメリカに無駄な戦争を止めさせ、アメリカの足らざるところを補うのは日本よりない。それをアメリカの悪の面に日本が同調してはいけない。日本は日本の天命の和の精神を持ちつづけて、アメリカの力となり、今後の戦争を一切防いで、調和した地球にしなければならない。その点で、あなたの運動(世界平和の祈りの運動)は特筆大書すべき大運動であるから、こちらでも大いにあなたの援助をする。どうぞ日米双方の助け合いに力をつくして下さい」

 戦後、日米は世界でも類を見ない緊密な政治的・文化的そして軍事的な結びつきを作った。最近はよく日米軍事同盟ということさえ言われる。

 しかし、現在のような日米関係は、ハワイの神様が託した「アメリカの悪の面に日本が同調してはいけない」というメッセージに叶ったものだろうか?むしろ、アメリカが行う大義なき戦争を無批判に支持してきたのが、戦後の日米関係ではなかっただろうか。

 真実の兄弟であるならば、相手が間違ったことをしようとするときには、たとえ相手から嫌われようと、「そういうことはやめましょう」と忠告するであろう。相手のなすことにすべて唯々諾々としてついて行くことは、相手のためにもならないし、自分も傷つけることになるだろう。

 アメリカが悪の道に入らないように、日本が毅然とした愛の助言ができるようになるためには、日本国民の一致した世界平和の祈りが必要なのである。(N)

(月刊新聞「世界平和の祈り」平成29年2月号エッセイより・太字は当方によります)

 ◎:世界平和の祈り

神性復活の扉 : 「小さな勇気、小さな実行」 中野利夫

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白光四月号「神性復活の扉」コーナーの ”些細な瞬間の大きな喜び”という原稿をよみ、私自身にも日常から神性を実感する体験がありましたので投稿しました。

 私は散歩の際、道に落ちているゴミが目につき、とうとう見過ごすことが出来なくなり、意を決して拾うことに致しました。ゴミを拾うこと自体は簡単なことですが、どうしても人目が気になります。

 その時「相手と対した時、相手の目を見てはいけない。目を見るとエネルギーが奪われる」という武道の師匠から弟子への教えの言葉が心に浮かびました。実行してみると驚くほど心の自由を得て、ゴミを拾うことが出来るようになりました。そして拾う時、「我即神也」「人類即神也」「私は宇宙神の光の一筋である」等の言葉を心の内で唱えると、さらに余裕をもってゴミ拾いが出来るようになったのです。

 そのうち今度は所々に花を植えることを思いつき実行したところ、徐々に小さな子どもからご年配の方までさまざまな方が挨拶の声をかけてくれるようになりました。また、ご自分の庭から持ってきてくれる人、同じように花を植えてくれる人、知らない間にそっと花を植えておいてくれる人も出てきました。

 ある時は、私が歩いていると知らない人が「あそこに大きなゴミが落ちていたよ」と教えてくれたこともありました。家に帰り、家内と娘にそのことを話すと二人とも大笑いでした。また「最近姿が見えないのでどうしておられるのだろうかと思っていました」と声を掛けてくだする方もいました。

 またある日、若い女性が嬉しそうな顔で「おはようございます」と気持ちの良い挨拶をしてくれました。まったく知らない方なのですが、その女性は私がゴミ拾いや花植えをしていることを知ってのことだということが瞬間的に理解できました。その時は天使から清々しい挨拶を受けたような嬉しさを感じ、「神性復活」とは人と人との快い心の交流の復活だと思いました。

 また、同誌四月号の五井先生の詩のコーナーに対して、共感の想いが生まれる出来事がありました。
私が参加している集会では会の最後に「世界平和を祈る歌」と、その月の聖歌を歌うのですが、三月の集会では「こころ」を歌いました。最後の歌詞を歌った時、心に閃きのようなものを感じたのです。すると、白光四月号の五井先生のコーナーで「こころ」が掲載されていて、偶然のことながら驚きと喜びを覚えました。

 ここ二~三年は心にわだかまりあったのですが、今そのわだかまりの下から神性の芽吹きの温かさのようなものが感じられ、それらが薄れていこうとしています。五月に開催されるSOPPの中での「富士宣言」の祝典を前に心が開放され、有難く嬉しい気持ちでいます。

 五井先生の詩や短歌はみ教えを短い言葉で表現されていて、極意のようなようなものを感じられる気がします。

  人と人とをまんまろく
  天と地とをまっすぐに
  つなぐ光の波でした

 すべては完璧  欠けたるものなし  大成就
 無限なる感謝
                                        (山口県下関市)
【「白光」誌 2015年6月号より】

食肉解体 学んだ「いのち」。「すごか仕事」息子の言葉支えに。(熊本の坂本さん)

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「講演で思い 伝え続けたい」

食肉解体の仕事に携わる男性を主人公に、息子や一頭の牛とのエピソードを描いた絵本「いのちをいただく」のモデルで熊本市の坂本義喜さん(57)が、今年度末で同市食肉センターを退職する。
2008年の発刊以来、生きることと食べることを見つめ直す作品として感動を呼び、昨年度末には児童向けの新絵本も出版された。退職後は本格的に講演で全国を回る予定で「食べ物になってくれた動物の思い、感謝を伝えたい」と話す。【青木絵美】

 坂本さんは二十数年前からセンターに勤務。父も同じセンターの職員だったが「小さい時に父をみて、血がいっぱいつくのが嫌だったし、仕方なくやるという気持ちだった」。
 始めて3年ほどしたころ、転機が訪れる。

 センターに連れてこられた一頭の牛との出合いだ。女の子が愛しそうに付き添い「ごめんね」と語りかけていた。聞けば「みいちゃん」と名付けられ、家族同然の存在だという。「肉にできん」。坂本さんはためらった。

 背中を押したのは、当時小学3年生だった息子の忍さん(33)だった。少し前、忍さんは学校の先生から「お父さんの仕事ばせんと誰も肉ば食べれんぞ。すごか仕事ぞ」と聞かされていた。「お父さんの仕事はすごかとやね」。息子のその言葉が支えになった。
 迎えた解体の日、坂本さんが「みいちゃん」をなでると、牛は涙を流した。「牛の涙は初めて見た。怖かったんだろうって知ってね。自分の仕事は、少しでも苦しい思いをさせずにあの世に送ってやることだと分かった」。
この時の思いを知ってほしくて、仕事の合間を縫って細々と講演を始めた。

 その話しに強く心を動かされたのが福岡県行橋市の助産師、内田美智子さん(56)。性教育や食育に関する講演など各地を回る中、8年ほど前、ある小学校で偶然、坂本さんの講演を聞いた。耳を傾けるうちに引き込まれ「多くの人に知ってほしい」と出版を提案。坂本さんも快諾した。

 08年に出版された絵本は約10万部が出版された。その後、漫画「家裁の人」を描いた魚戸おさむさんが書き下ろした絵で紙芝居やDVD化され、授業などで使われている。昨年末には小学校低学年向けに新たな絵本(講談社)も発売された。

 坂本さんは、講演で出向く先々で給食の残飯の多さを訴える声を聞き「今は食があふれている」と憂う。一方、講演を聞いた子どもや親から「給食を残さず食べます」 「ピーマンも魚も命だけん、食べないかんね」 「子どもが『いただきます』を言うようになりました」といった感想が届く。 「本に『残さず食べよう』なんて一言も書いてないのに、命をもらって私たちが生きていることを子どもたちは感じている」と受け止め、伝えることの大事さを実感するようになった。

 老朽化したセンターは来年度末に閉鎖予定で、人員整理が進む。解体作業は別の施設で行われるが、これを機に、坂本さんは多くの講演依頼に応えようと退職を決意した。 「これからは子どもたちの前で目いっぱい、動物たちの思いを伝えたい」と話している。 
                                  (2014.2.8 毎日新聞)

 

憲法九条の起源 (月刊新聞「世界平和の祈り」から)

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 安部晋三首相は3月2日の参院予算委員会で、「私は在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べた。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌5月3日に施行された。誕生から70年もたち、現在の社会情勢とそぐわない面も出てきている。たとえば政教分離を定めた89条によれば、ミッションスクールなどの宗教的私立学校への助成は憲法違反になる。現憲法には、今日では常識となっている環境権という大切な思想が含まれていない。

 しかし、安部首相が最も問題にするのは、現憲法、とくに戦争放棄を定めた第九条が、日本が占領下にあった時代に、アメリカによって押しつけられたという点である。これを日本人の手によって作り直し、日本も正式な国防軍を持ち、集団的自衛権を堂々と行使したい、と現在の自公政権は考えている。
 
現憲法がアメリカによって押しつけられた面が強いことは歴史的な事実である。日本側が松本丞治国務大臣を中心として作成した憲法草案を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に提出したところ、この試案が明治憲法とあまり変わっていないことから、GHQはこれを拒否し、独自の草案、いわゆる「マッカーサー草案」を日本側に提示した。そしてこの「マッカーサー草案」がもとになって日本国憲法が作成された。
 
では、戦争放棄の9条はどのようにして「マッカーサー草案」に、そして日本国憲法に書き込まれたのか。この問題は憲法学者の間でも長年、議論になってきた。保守的な政治家や評論家の中には、9条は日本を弱体化させるために、連合軍最高司令官マッカーサーによって押しつけられた、と主張する人々がいる。
 
2月25日のテレビ朝日の「報道ステーション」は、国立公文書館から発掘された、岸内閣時代の憲法調査会の音声資料を紹介していた。その中には、中部日本新聞の小山武夫氏が、「当時の首相の幣原喜重郎氏から(9条は自分が発案し、マッカーサーに提言した)とオフレコで聞いた」という証言録音が存在した。この証言によると、9条は確かに押しつけられたものかもしれないが、その背後に日本人の発案があったということになる。
 
それでは幣原はなぜ、当時としては途方もない理想主義的なアイデアを思いついたのか? その背後には、第二次世界大戦で未曾有の苦難をこうむった日本国民の平和への願いがあった。そしてさらに、日本を二度と戦火に巻き込んではならないという、昭和天皇の強い意志があった。天皇はマッカーサーと幣原に、戦争放棄の条項を憲法に書き込むように要望し、両者は巧みな連携プレーでそれを実現したと言われている(渡邊和見「憲法の真髄と日本の未来」今日の話題社)。(N) 

(月刊新聞「世界平和の祈り」平成28年4月号エッセイより・太字は当方によります)

東京新聞 TOKYO Web 「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料 (2016年8月12日 朝刊)

平成29年1月2日、福井県唯一の霊山、泰澄大師修行の山、越知山(612m)に登る。

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写真は 越知山9合目の越知神社から写した別本社の雪景色です。
登り口の小川地区に約20台の車が駐車してありビックリでした。7合目を過ぎてから雪があり、ズックの私には厳しい登りになりました。
大勢の皆さんは展望台で昼食をとられていたお陰で、頂上は私一人でした。お陰で声を出してお祈りが出来ました。帰りの下りは3回滑って転びましたがリックサックがクッショウンになり泥だらけになりましたが、大難が小難で済みました。無限なる感謝です。(I)

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