白光真宏会-北陸

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藤野先生添削 魯迅医学ノート(複写)

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福井モノ語り


 『師弟の愛にじむ朱筆』

「私が自分の師と仰ぐ人のなかで、彼はもっとも私を感激させ、私を励ましてくれたひとである」。中国を代表する思想家、魯迅(1881~1932年)は26年に書いた自伝的小説「藤野先生」で、あわら市出身の医師、藤野源九郎(1872~1945年)のことをこう記している。

 2人の交流で象徴的なのが医学ノートの添削だ。魯迅が仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に入学した際、藤野が解剖学の講義を担当。日本語やドイツ語と図がびっしりと書かれた講義ノートを、単なる医学的誤りだけでなく日本語の使い方に至るまで朱筆で一つ一つ細かく指摘している。藤野は受け持つ講義が終わるまで添削を続けた上に、日常生活の便宜も図ったという。

 魯迅が留学時に筆記したノートは脈管学、解剖学など計6冊あり、魯迅の故郷である紹興市で見つかった。中国の国家一級文物(国宝)に指定されている。この脈管学の複写本が、2006年に同博物館からあわら市に寄贈され、同市藤野源九郎記念館に展示されている。

 日清戦争で清が敗れ、日本では中国人をさげすむ風潮があったとされる当時も、藤野は親身になって面倒を見続けた。2人の師弟愛は、現代の日中友好の礎になっている。(黒田美沙)

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2019年(令和元年)5月6日(月曜日)福井新聞から。
◎当時無名の苦学生のことを気にかけられて、面倒を見られた真心が、今、日中の友好の礎になっている。その真心を見習いたい。「世界人類が平和でありますように」(I)

「書きのこすこと」 (3~7)  伊藤 顕

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3、神様に書き損じはないよ

  お浄めの当番で、私が旧東京道場にまいりました時、永安さんから色紙を二枚あずかったことがありました。
 五井先生のお祈りの言葉の色紙がまだ無い頃でしたので、「世界人類が平和でありますように」」と先生に書いていただきたいと、私が市川に住んでおりましたので、頼まれたのでした。
 大変光栄なお役目ですので、喜んで当時の会長室に、五井先生をお尋ねいたしました。そして、先生に色紙をお渡しいたしますと、「二枚あるけどなーに?」とおっしゃられたのです。「何かの時に役立つから、二枚入れておきます」と、永安さんから言われたのですが、五井先生には「もしもの場合です」などとはとても申せませんので、お答えにつまっておりました。すると、「そうか、分かった。じゃあ、出来たら連絡するから」と、先生が言われました。
 そして、二、三日いたしますと、先生から「伊藤さん、出来たから取りにいらっしゃい」と、ご連絡がございましたので、いそいそと出かけて行きました。
 玄関でお待ちしておりますと、取次ぎの藤井さんが、出来上がった二枚の色紙を持ってこられまして、「一枚は世界平和の祈りですよ。そしてもう一枚は、いろいろな意味であなたにあげるって、五井先生が書いてくださいましたよ」と私にくださったのです。
 それには「誠意・昌久」と書かれてございました。私は思いもかけない賜物に「そうですか、ありがとうございます」と満面の笑みでいただきますと、藤井さんが、
 「伊藤さん!五井先生がおっしゃっておられましたよ。『神様に書き損じは無いよ』ということを伝えなさい、と」・・・私は平身低頭その二枚の色紙を押し戴いて、引き下がってまいりました。
 その色紙は今も大切に家に飾っておりますが、それを拝見する度に、五井先生の暖かいお心と、神様はすべてのすべて完璧なんだという五井先生のお言葉がひびいてまいります。

 4、皆さんの祈りがすばらしい

 五井先生のお浄め部屋には、五井先生が自叙伝に書かれていますような「掖明(よあけ)観音像」が床の間に横に置かれてありました。
 初めのうちは普通の観音様のお像だと思っていましたが、それが、白光誌に「天と地をつなぐ者」が掲載されてから、それが「掖明観音像」だと分かると、お浄めにこられるほとんどの方が、まずその観音像に手をあわせてから、五井先生のお浄めをお受けになっていました。後から来る人も順々に。前の人にならってゆかれるので、自分の順番になったときに、私も「素晴らしい観音様ですね」と申し上げました。そういたしますと、先生はニコニコされて私をご覧になられ、「あなたの祈りが素晴らしいよ」と強いひびきでおっしゃられました。深い意味を含んだそのお言葉は、今も私の心に響いています。
 それは、形に現れたものも勿論大切だが、それよりもなお、神さまそのものが、いつでもどこでも印を組み、世界平和の祈りを祈っているわたしたちの素晴らしさというものを教えていただいたのです。 ”人身得難し”といわれますように、肉体身をもって世界平和を祈り、「我即神也」「人類即神也」の印を組ませていただいている私たちの有り難さを強く思わせていただきました。

 5、「神と人間は、浄まるご本」

 毎日たくさんのお浄めとご相談されていた五井先生は、そのお忙しい合間合間に、ご自身で赤エンピツをもたれ「神と人間」出版のための校正をしていらっしゃいました。
 そして、昭和二十八年五月に、ご本が出来上がりますと先生は、「この本はまだ一度もこの世界に現れたことのない内容の本ですよ」と言われました。
 今も拝読する度に私は、神さまが初めて地球世界に宇宙の真理、人間の真実の生き方を、神我一体になられた五井先生によって、日本語で書き降ろされた真理の書であることが深くひびいてまいります。
 今、その時五井先生からいただいた初版本を開けてみますと、六十数年の年月で紙は各頁とも茶色になっていますが、何回もお経のように毎日読ませていただいたのに、赤線など引いた箇所が一つもないのに驚いています。
 この「神と人間」の中の一言一言が本当に大切なお言葉ですので、私の性格でしたら、もうたくさんの赤線を引いていて当然ですのに、一つも赤ラインを引かずに読ませていただいたのは、ご本をいただいたときの直感で、この「神と人間」というご本は、ライン引き出したら全部引くよううになってしまうご本である、と感じられたからだと思います。
 私はその頃は、家に帰ってご飯を炊き上げるまでの二十分間程が、私にとって一番ゆったりとした一刻でしたので、「神と人間」をガス台の上に立てかけて、合掌しながら読み続けておりました。
 ある日、そのことを五井先生に申し上げますと、「それは、浄まりますね。本を合掌する心で読まれると浄まりますよ」とおっしゃってくださいました。そして浄めというのは、五井先生の前に座らせていただく時だけだでなく、真理の書を心をこめて拝読するときにも、神さまからのお浄めをいただけるのだと教えていただきました。
 特に、第七章の「私の祈念法」の中の「神さま、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え。とその祈りを毎日欠かさず続けていることは、細かい種々な願い事をする神詣で、仏参りをするより、はるかに、はるかに、その人を高い境地に、導いてくれるものである定まった一時のの祈りよりも、常に常に心に抱いた想念の方が、よほど効果があるものである」というお言葉は、私の人生を導いてくださる大きな「道しるべ」となりました。

 6、 五井先生の救世主宣言

イエスキリスト、金星の長老、弥勒如来、釈迦牟尼仏、老子の五聖者、五井先生と合体さる

 昭和三十七年三月十一日、聖ヶ丘道統一実修会で、皆さんの前で、五井先生は「我は世の光りなり」とはっきりと救世主宣言をなさいました。会場に集まった人々は感激して、人類救済の運動に心身を捧げることを心の中で誓ったのでした。(白光誌昭和37年4月号76頁)

 

 7、 これから本当の人間を育てる (五井先生ご法話・白光誌昭和37年5月号より)

 これから肉体の人間のご機嫌などをとることを一切私は止めますよ。そんなことして何になるか、只その人の本心が開くために、その人が本当の人間になるために、本当に神の子の姿を現すために、私は懸命に努力しますよ。そのためには甘やかした方がいい時には甘やかすかもしれない。グチを聞いてあげる方がその人の魂が開く場合には、ああそうかね、と聞くかもしれない。しかしそうでない場合には、このバカヤロー、と怒鳴りつけちゃいますよ。そういうようになりました。だからこわいんだか、優しいんだか、自分自身にもわからない。こわい時にはうんとこわいし、優しい時にはうんと優しい。それがいいんです。今までみんなが本当に消えてゆく姿で平和の祈り、という道をつけ、開いて、そして今度はその道の中に入ってきた。相当に出来て来たから、幹部のいゆる古い人達はもう消えてゆく姿さえもいらないのだからね。とたんに空にならなければ駄目。パッと空になるような修業をしなければならないと思うのです。

 そこで私は幹部の再教育をしたいと思っています。ビシビシと尻をひっぱたいて(笑)鍛え直そうと思っている。今までは、たががゆるんでいた。だから鍛え直して本当の人間にしようと思っている。どこの宗教家が見ても、唯物論者がみても、どこから見ても、ああ五井先生のお弟子は立派だなあ、といわれる人間にしようとおもっている。ああでもない、こうでもない。なまこのような、なめくじのようなフニャフニャしたものは、いたってしょうがない。みんな叩き直そうと思っているのです。覚悟はよいか(笑)ってなるんじゃないかな(拍手)
 愛するということは、その人の本当のいいものを、いい持ち味出さなければ、愛することにならないんですね。その人の愚痴を聞き、業想念を聞いて、ヘイヘイいっていたんじゃそれは愛することではなくて、弱虫ということです。だからその人の長所、持ち味をズバリと出すように、私はこれからやることにしました。そうすればみんな立派になります。怒鳴りつけるときは怒鳴りつける、優しくするときには優しくしますから、どうぞそのおつもりで、みんな張り切って下さい。

 皆さんが真祈りの中心であり先達
   
 いいですか、皆さんが世界人類を救うのですよ。肝に銘じて下さい。世界平和の真祈りの中心なんですよ。自分たちが救われるんじゃなくて、自分たちが救いに立つのです。皆さんの過去世をみれば、みんな相当なものです。それなのに、この世の垢や塵がついてヘナヘナなんかしたのだのだけれども、実はヘナヘナした人間など一人もいないのです。みんな神の子なのです。みんな前生において、修業に修業を積んだ人間が集まっているのです。それでなければこの祈りのことがわからないんですよ。五井先生がわからない。少しでもわかるということは、過去世において修業を積んだ賜物なんですね。修業をなにも積まない人間は、唯物論者のようになって、神がいないとか、霊がいないとか、くだらないことをいってのさばっているんですよ。少しでも修業を積むと神さまがわかるし、霊のこともわかるのです。
 だから皆さんは幸せな人達です。世界人類を本当に救うための第一歩を踏み出す時に、五井先生と共に手をつないで、世界平和の祈りが出来るということはなんたる幸せよ、と老子はいうのである。

 生きるということは厳しいもの

 皆さん子供を育てるのでも、只叱ってはいけませんよ。本当うにその子を愛して、それで叱りなさい。叱って死んでもいいんだ。そんななまくらで生きているのなら、死んでもう一遍霊界でやりなおして、肉体に生まれ更ってこい。そういうつもりで子供の教育をしなさい。そしたらその気迫に打たれて子供もしゃんと直るから。
 なまくらで五十年七十年生きたって何にもならないんですよ。それは死んでいるのと同じ。生きているというのは、生命がピンピン生きていること、生命が光り輝いて、それで生活していることであって、ぐだぐだしているのは死んでいるのと同じだから、いっそのこと、パッサリ死んだ方がいい。そうすればやり直しがきくから。なまくらに生きているからやり直しがきかない。死んでいるのと同じような生き方ををするなら、一遍死に切っちゃって、もう一遍生れ更った方がいいのです。
 生きるということはそれ程厳しいことなんですよ。今まで皆さんはそういう話を五井先生から聞かなかった。しかし生きるということはきびしく、一分一秒もゆるがせに出来ない。その厳しさに耐えて、自分を見つめて自分を鍛え上げてゆくことこそ、魂の本懐であるし、本心開発の一番の近道です。
 それを五井先生は消えてゆく姿で世界平和の祈りというやさしい教えにして導いて、今日まできたのです。それで今日からは消えてゆく姿に世界平和の祈りを含めた中に、少しピリッと芥子をきかせてご指導いたしますからね。(中略)

 皆さんの運命は私が引き受けた!

 この世からあの世まで全部引き受けます。
必ず永遠の生命が光り輝くように私が引き受けるから、皆さんは世界平和の祈り一念でやりなさい。
 私が引き受けた、私というのは全部の神々が入っている私ですよ。いいですね。どうぞそのおつもりで。(以上)

(私の感想)
                                             高橋英雄
 伊藤顕シニアーメンバーの「書きのこすこと」は好評である。今回の五井先生にまつわるエピソードも、皆さんに新鮮にうつることだろう。
 昭和37年5月号よりのご法話、幹部の再教育をする、鍛え直す、とおっしゃるが、そのきびしさがどのようなものであったか、私には記憶がない。
 基本的に先生の人柄である優しさに変化はなかった。だが先生の内部で優しい愛ときびしい愛と使いわけられるようになったことは確かであろう。先生の基本は神への全託である。全託というのは「優しい」で限定されるのではなく、神の御心によって「厳しさ」も自在に生まれてくるということである。しかし根本は優しさにある、と思う。
 世を救い、人を救うのは強さではなくして、優しさである。その優しさのきわみ慈愛が、人のため世のために命を投げ出すのだ。そしてその慈愛の心は、永遠に人々の心に残り、伝わってゆく。

(五井先生研究 No。167から)

※高橋英雄様、伊藤顕様のお許しを頂きこの「書きのこすこと」を、「五井先生研究」から転載させて頂きました。

「書きのこすこと」 Ⅲ (8~16) 伊藤 顕

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8、五井先生のご指導の講師練成会
             「霊性開発手帳」をいただく

 昭和四十年三月二十八日、聖ヶ丘道場にて、五井先生ご指導の講師練成会が行われ、一人一人に霊性開発のご指導をいただきました。参加人員60名。
 午前十時厳粛な、そして緊張の空気のうちに、お祈りをもって始まる。続いて五井先生のご法話。黒板に神界、霊界、幽界と書かれ、それぞれの界を三層に分けてある。つまり、一人一人の霊位と想いの座、そして、長所欠点をハッキリと教える、といわれました。
 霊位とは自己の本性の座であり、想いの座とは常に上下に動いているものであるが、悟ったというのは、この想いと自分の霊位とがぴったり一つになって動かない状態をいうのだ、と五井先生は説明される。
 霊位と想いの座に差があれば、それを一つにするよう精進することだ。みなさんは講師だから、手加減はしない、とおっしゃった。
 そして「皆さんは個人としてこの世に来ているのではない。地球を平和にするために来ている天命がある。宇宙世界の一環として地球人類を存在せしめるために、この世につかわされたのだ、と自覚しなさい。自分は神のみ心を伝えなければならないのだ。と勇気を持つことです。勇気をもつには、祈りに徹し切ることだ」と講師の奮起をうながされた。
 一時間半ぐらいの質疑応答のあと、約15分間統一。真剣になっているせいか、いつもとは異なった雰囲気を感じる。統一終わって、「みな大光明と全く一つになった」と五井先生は講評された。
 それから一人一人五井先生の前に呼ばれ、ごく短い統一をしていよいよ先生の採点だ。
 先生ご指導の「霊性開発手帳」に各人の霊位、想いの座を示され、具体的なご指導のお言葉を記入して頂く。六十人一人一人、丁寧に先生はみていかれる。
 午後一時にいったん休憩、食事をとり三時すき終了。
 緊張から開放されたからか、疲労感をおぼえた。終わって、まだまだ書き足りないことが多くある。想いの座というのは統一時の平均点で、想いはある時は幽界にもある、ある時は神界にある。常に人は大きな振幅をもって動いているものだが、時間がなくて出来なかった。この次の機会にそれをあきらかにしよう、と五井先生は言われました。(白光誌 昭和四十年五月号より)

9、大神さまからのメッセージ
     神と人間、阿難、老子講義を朗読する
(昌美先生より御神示を頂く 平成4年6月)

 光明思想徹底行に加え、五井先生の真理の書、神と人間、阿難、老子講義を声を出して朗読し、世界中に流す。
 今までは声に出して朗読する時期ではなかった。何故ならば、その読む人本人の救われが先で、人間の心を変える力は備わっていなかったからだ。だが今は違う。一人一人は確固として目覚め、霊性が高まり、強力なるパワーが充ちあふれている。そのエネルギーを利用し、真理の書を朗読してゆくのだ。
 一人よりも二人、三人、三人より四人と、神の光の波動に乗って、人類の心の中に浸透してゆくのだ。地獄のサタンが人類の心の中に入るのが先か、神の真理の光が人類の心の中に入るのが先か、今その瀬戸際にある。

 祈ってくれ、祈ってくれ、人類救済の為に。響かせよ、響かせよ。宇宙の果てまでも、真理のひびきを。あなた方一人一人以外にこの真理を行う者は誰も無し。あなた方が頼みの綱である。夫婦、親子、兄弟姉妹、家族、友達、隣人、学校、会社、皆で顔を合わせたら真理の書を読み合うのだ。
 相手がいなけれが、一人でもよい。誰も彼も、恥ずかしがらずに、声をだして真理の書を朗読するのだ。光明思想徹底行とともに、世界中の業想念波動を神の光り輝く、無限なる波動に変えてゆくのだ。
 もうすでに、あなた方の肉体から、その高い神の波動が放たれているのだ。更に意識を集中させ、祈りひびかせて行うならば、世界は大転換を迎えるであろう。地球滅亡をくつがえし、神の高いひびきそのものの世界が、この世に出現することになろう。地球滅亡を阻止するために、あなた方の大いなる働きを発揮する時がきたのだ。頼む。

  「神と人間」の朗読
 このメッセージをいただいてシニア・メンバーは、聖ヶ丘道場のご聖壇で、一人づつ毎日「神と人間」を朗読して、昌美先生にお送りしました。今、その時いただいた「神と人間」の録音テープから、五井先生の素晴らしい言霊のひびきをいただいております。
  「阿難」の朗読
 五井先生創作「阿難」は白光誌の昭和三十年七月号から連載されました。
 {阿難}の書を朗読しますと、釈尊の言葉が五井先生の言葉となってひびいてまいります。そして「人間と真実の生き方」が易しく説かれて理解されてまいります。
 地方の方で、五井先生を全然ご存知ない私の知人の方が、寝たきりの家族の方に、毎日、奥さんが、阿難を読んで聞かせてあげているうちに、すばらしく明るい家族になっていかれたというお話しを聞きました。  
    「老子講義」の朗読
 五聖者の老子が合体された五井先生は、昭和37年4月号の白光誌から「老子講義」を掲載されました。
 老子講義には、世界平和の祈りが、老子の無為の道であることを説かれてありまして、私は皆さんと毎月の勉強会で、五井先生の教えの基本を老子講義で学びつづけています。

10、真っ向微塵に五井先生を呼びなさい
     「天命を信じて人事を尽くせ」より

 世界平和の祈りというのは五井先生といって働いている救世の大光明の光りなんです。
 光りがそのまま世界平和の祈りになって、ひびきわたっているんです。五井先生の肉体は、世界平和の祈りの提唱者で、世界平和の祈りの地球世界の代表です。その人は三十にならないうちに死んじゃって天界の一番高い神界の一番上のところへ行ってしまったのです。 ということは自分の直霊と一つになったんです。
 そして五井先生という神さまになってしまって、五井先生と呼ばれれば、どこえでもパッと行けるのですよ。太陽よりももっと強力な光りなんですよ。(10頁)
 五井先生と呼びなさいというのは今まであまり言わなかった。この頃は真っ向微塵と言っているんです。言わないと間に合わないから。地獄がこの地上界に出て来たんだから、もう間に合わない。それで短くて、一番速いものは何か。五井先生!が光のエレベーターであり一番速いんです。(141頁)

 私を思いなさい。といっている私は、神界の五井昌久X(エックス)なんです。
 肉体の五井昌久ではなくて、神さまの世界にいる人なんです。そうすると、五井先生が光りのエレベーターになりまして、エレベーターで一遍に神界にいってしまう。それを三段構えにしてあなたの悟った霊である守護霊さんがいて、その上にまた神さまの分かれである守護神さんがいて、その神霊方を梯子にしてあなたは神様の世界に上りなさい、といっているんです。それで足りなければ、五井先生がここにいるから、五井先生!と思いなさい。そうするとあなたは、神界の本当の住所に行くわけです。(光明の生活者 41頁)

11、富士山頂の大神業

 昭和47年7月28日、五井先生の大光明をいただいて、昌美先生を中心に日頃より魂浄めなせる同心四十五人が、地球にまつわるすべての業を浄める富士山頂の大神業を達成されました。
 出発に先立って、浅間神社境内の一地点で「宇宙子波動生命物理学(CWLP)の大絵図面を広げて、五井先生の浄めをいただき、この絵図面を持って、昌美先生を中心に富士山頂で祈りを捧げました。
 七月二十六日、雨後の登山道の悪路、しかも濃い霧の中を小刻みの休憩をとりながら、五井先生の無線による励ましのお浄めのお声を聞いて、ひたすら五井先生、五井先生の称名で五井先生を念じながら、五合目のスバルライン・ホテルに到着。」狭い場所でお互いの肩と肩の幅のみで仮眠。
 七月二十七日、六時起床、五合目より、ひたすら五井先生、五井先生の唱名で、寒風吹きすさぶ中を八合目まで登り、祈りの力と体温による人襖(ひとぶすま)で、山小屋に到着。衣類を温めて仮眠。外の気温は零下まで下がって結氷。
 七月二十八日、四時起床。五時四十分、燃えるような太陽が昇って来てご来光を拝す。
 昌美先生は断食に近い状態で一歩一歩を登られた。
 五井先生は、「ホテル・マウント富士」から無線で、「ブライト・フレンド、ブライト・フレンド、こちらは五井先生見えますよ。見えますよ。おめでとう」と昌美先生にお清めと励ましのお言葉をいただきました。
 富士山頂での昌美先生のメッセージ
「神々の大いなる祝福をいただく、富士山頂に世界中の神々が集い、天と地が神結びに結ばれた。これから地球世界は大きく変わる。大きな業生が吹き出てくるが、これをお浄めされるのが五井先生のお役目。神々への感謝。シニヤ・メンバーは、世界平和の祈り言の深さを行いの中で体得されよ」と言われ、下山。
 五井先生は、ホテル・マウント富士から、富士山の五合目まで来られて昌美先生に大神業達成を祝福されました。
 五井先生から昌美先生とシニア・メンバーは色紙を賜りました。

  天の知恵 調和科学と生まれ 世を救う
              この神業に選ばれし君
                       昌久

「富士山頂の大神業」(詩集 純白より)
                   五井昌久

世界の神々富士山頂に神集い
地球にまつわるすべての業を浄む
古のその古ゆ
すでに定まりし今日の日の大神業
我が娘にして我が娘ならぬ
天の使い姫を中心に
日頃より魂浄めなせる同心四十五人
若きは十余才古りしは七十余
同志すべて神々の浄めの器
その指揮をとる天の使姫
装備凛々しく神富士山頂を目指す
我れは他山の頂に応援の祈りをなし
大神業成就の大光明を放つ

地球の汚は極限に至り
崩壊寸前の姿にして
大宇宙運行の障礙ともなれり
この日の来ること
国造りのはじめより知れる神々
宇宙経綸の一幕なる
地球大浄化の神器として
天より我が娘を降す
麓には麓の神
襲い来たり湧き来たる業の波を
神器にひきよせては浄め去るまる二日
あな尊と宇宙の神々
救世の大光明神
その生命ささげる覚悟に
業の波を踏破する
健気なり天の使姫神器の人々
遂にして富士山頂光明遍照
宇宙大神のみ姿を拝し
諸神善霊の祝詞を受くる
あな嬉し 喜ばし
浄めのみ力全山に及び大神業ここに達成せらる
昭和四十七年七月二十八日の朝なりき

12、富士聖地にピラミッド建設
     地球もいよいよ宇宙の仲間入り

 富士聖地に現在のピラミッドが、昌美先生と̪シンヤ・メンバーによって建設作業が行われました。(昭和五十一年二月十一日、三月二十一日、四月十七日)(作業上の注意・・日本語を絶対に使わないこと)
 五井先生ご法話(昭和五十一年一月号)
 「だんだんこの地球世界も、大宇宙の仲間になってきたんです。それがピラミッドを建てることによって始まるんですよ。
 本当に皆さん方のお父さんもお爺さんも、ひい、ひい、ひい、ひい爺さんまでも、経験したことのない、そういう本当に大きな経験を我々の世代はするんですよ。
 地球が救われるか救われないか、宇宙の天使方の協力によって、手をつないで、本当に地球を救う時が来るんですよ。いいですね。
 劇的ですね
 それは皆さん方の平和の祈りの賜物でもあるんです。皆が大勢で平和の祈りをしているから、ここが光り輝いている場所になってやらなければ、誰も世界を救えないんですよ。
 皆さんはますます信念を持って、いよいよ我々の平和の祈りが世界を救うんだ、これは本当のことなんだと言うことをはっきり認識なさいましてね、ますます平和の祈りをなさるようお願いします。」

13、五井先生のご帰神

 昭和五十五年八月十七日、五井先生がご帰神され、聖ヶ丘道場の統一会で瀬木理事長から五井先生に三つもお誓いを申し上げました。
① 五井先生は永遠です。
② 五井先生のみ教えは不滅です。
③ 私たちの信仰心は不動です。
 私共祈りの同志は、五井先生のみ教えを中心に、五井先生奥様、昌美先生、裕夫先生を戴いて、今まで以上に一生懸命に、地球世界完全平和達成のために働かせて頂くことをお誓い致します。五井先生ありがとうございます。(白光誌十月号より)

14、富士聖地誕生

 昭和五十五年八月二十八日、富士聖地の開所式が行われ、統一会、みそぎの会、練成会がスタートしました。

 15、五井先生のメッセージと神示
      講師練成会で昌美先生より頂く

 昭和五十六年8月十六日の講師練成会で五井先生の「メッセージ」と、「ご神示」を昌美先生から頂きました。
   「五井先生メッセージ」
★ 汝の今日までの信仰心は偉大なり。
我が帰神後にこそ、汝本来、持てる厚き信仰心が強く発揮されたところによるものなればなり。
 神の尊き器と化し、世のため、人の為に尽くせしし汝は、永遠に救われ、高い徳となりて、後生にうけつげられるであろう。
 今は、わが言葉も深く実感として、捉え難いことであろうが、今に見む、汝の人生は大きく転回し輝かしい運命となりて、発揮されむことを、われは、ここにて確かなる証をするであろう。
  「ご神示」
★ 日本がいよいよ立つ時が来た。宗教・哲学・物理学・医学
・心理学を携えて、世界中に示す時が来た。
 日本の大調和精神を世界に示し、中庸の道を歩み、各国の争そいの想いを緩和し、待ちに待ち望んだ時来たれり。
 日本国民よ。汝らは神より選ばれし民なり。汝ら本来の力を発揮する時は今なのだ。今をおいて他にない。
 目覚めよ。真理に。古き、高き魂の集まりよ。汝らの行く手は、神のみ国なり。なれど、そこに至る道は険しい。多くの人々が迷い苦しみ、悶えることだろう。そを、救うは、唯ひとつ、世界平和の祈りのみ。
 日本の国から、すべての分野において、卓越した人々が世に現れるなり。神は汝らの肉体を介して、世に顕れるなり。
 人類の中でも秀でた高き魂の集まり、日本人の示す道は崇高なり。感謝せよ。神より選ばれしことを意識せよ。汝らの天命を世に示せ。世界平和の祈りを。
 滅びゆく地球。滅亡せる地球。天地は裂け、炎につつまれ、すべてが解体し、人々から善意が失われ、悪のみ現れ出づる。
 その時に、天から一筋の光り、世界平和の祈りが新たに鳴り響き、天地の神の息吹が、吹き込まれる。

 日本よ。日本人類よ。
 さあ、起ち上がれ。
 今、起たねば、いつ起つ時があるのか。
 日本は、武器で起つのではない。
 世界平和の祈りをもって起つのだ。
 日本人よ。日本人類よ。すべてを投げ出し
 世界平和のために働かれよ。
 汝ら一人一人の働きは世を照らすなり。
 真理に目覚め、愛に目覚め、調和の心を身に修め、世に示せ。
 時は瞬々刻々に移りゆく。
 日本の使命は偉大なり。
 日本の天命を完うせよ。

16、五井先生の貴重なビデオ
     「五井先生の横顔」と「聖地聖ヶ丘」京都で作成

 日夜世界平和のご神行をされておられる或る日の五井先生のお姿が、京都の山崎プロダクションで「五井先生の横顔」と「聖地聖ヶ丘」の二本作成されました。
★ 「五井先生の横顔」は、昭和四十二年五月に作成され、五井先生のご法話とお浄めのお姿が収録されています。
★ 「聖地聖ヶ丘」は昭和四十二年六月に作成され、五井先生の聖ヶ丘道場でのご法話とお浄めのお姿と、五井先生のお誕生日祝賀祭が収録され、以前頒布されていました。
  五井先生は
「聖ヶ丘の門は天国の門、この門をくぐり、花に囲まれた石段を昇ると、神々の微笑につつまれた透明の柱に吸い込まれる。透明の柱は大救世主の体、救世の大光明の中心体、世界平和の祈りはここから生まれ、地球人類救済のドラマチックな大光明波動を、人類すべての心の隅々までひびかせる。」と言われました。
                          (終り)

僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。

福井ブログ

 学校の先生だって人間だから担任のクラスに好きになれない教え子がいたって仕方がない。が、それでもその子を気に掛ける先生かどうかで、道は分かれそうだ▲
 その先生が5年生の担任になったとき、服装が不潔でだらしない少年がいた。どうしても好きになれずに、中間記録には少年の悪いところばかりを書き込んだ▲あるとき、少年の1年生からの記録が目に留まった。もともとは朗らかで勉強もよくできたのに、母親が病死して希望を失い、父親から暴力を受けていたと知った▲

 「心に響く小さな5つの物語」(致知出版社)に収められている実話である。このとき先生の心は激しく痛んだ。そして少年に声を掛け、教室で毎日、彼の予習復習に付き合った▲
 結末が心に残る。1年間だけの担任だったが、節目ごとにカードが届くようになった。彼が医師になった。結婚式の招待状が来た。「母の席に座ってください」と書かれていた▲別のカードには心からの感謝の言葉がつづられていた。「あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます」と▲
 
 さまざまな事情を抱え、多感な年頃ゆえに悩みも深い。少年少女と向かい合う先生はつくづく大変だ。近頃は事務量も膨大でこの上もなく忙しい。「神様のよう」と言ってもらえる機会を、先生から奪っていやしないか、と気掛かりだ。

2018年3月4日。福井新聞「越山若水」より。世界人類が平和でありますように(I)

 

クルーズ船

石川ブログ

金岩
ほっと石川に掲載されていたクルーズ船についてお話しさせて下さい。
 『石川県ではクルーズ船の増加に対応するため、開港以来の大改修となる機能強化整備を進めています。大型化するクルーズ船2隻同時に接岸できるように無量寺埠頭の水深を10メートルまで深くします。併せて老朽化している金沢港会館を改築し、クルーズ船が2隻同時に寄港した際にも対応できる出入国手続き・待合施設・観光案内などを備えた金沢港クルーズターミナルを整備します。後省略』と書かれています。

 このクルーズ船と新幹線とが好調に推移し、相乗経済効果に期待がとても高まっています。現在、金沢港は大改修工事が行われています。
 今、金石海岸の海の景色は驚くど大きく変貌しました。数年ほど前までは、すぐそこに海が見え砂浜に波が打ち寄せるという、海の自然な風景がありましたが、クルーズ船等大型化した船の寄港のため、海底を深くする必要があり、大量の土砂が近くの金石海岸に運び続けられました。その結果1キロ以上埋め立てられ、海すら見ることができません。あの砂浜や波打ち際はどこにいってしまったのでしょうか。クルーズ船が2隻同時に寄港するためには、後どれだけの海底の土砂を掘って、どこへ運ぶというのでしょうか。
 私もクルーズ船に乗り優雅に船旅もしたいと思う反面、子供の頃よくこの海で海水浴をして楽しく遊んだ思い出が忘れられません。

 1カ月ほど前の新聞に、大きな鯨が痩せほそり餓死した状態で砂浜に打上げられ、解剖した結果、胃袋の中に6トンもの大量のプラスチック製品のゴミがあった。と記事が載っていました。6トンとはどれ程なのか想像もつきませんが、かわいそうで涙がポロポロ溢れ出てしまいました。
 海を司る神様は、深く悲しみ嘆いていられると思います。私達の自我欲望から自然を破壊し、生物の生命を脅かす事に早くストップしなければなりません。
 私達は、ちょっとした天変地異や異常気象で自然の怖さを身をもって知っていますが、自然を簡単に変えてしまって、豊かさや便利さを求めてしまいます。自然環境を簡単に変えてしまうのに、自然災害にはいつも畏怖します。
 地球世界感謝行を一人でも多くの人達と心を一つに祈れる日が早く来るようにと願っています。
                                                                                                            (金沢支部 和布浦明子)

                         金石海岸20141227215618 

      

人類を代表して原発への祈り。

福井ブログ

 平成30年11月10日(土)、翌日の生田目和幸さんの福井支部講話会の前日、JR敦賀駅で生田目さん始め福井支部のメンバー9名が合流、車2台に分乗して、敦賀半島の水晶浜の美しい砂浜の左に美浜原発を見ながらトンネルをくぐり抜けて敦賀半島先端の白木地区にある「高速増殖炉”もんじゅ”」の安全な解体作業を祈願(原子炉の冷却に危険なナトリウムを使用)して地区の白城神社で祈願のお祈りと印を組みました。

 戻ってトンネルを出ると右手に再度美浜原発が見えてきました。県道を右に曲がり美浜町丹生地区の美浜原発すぐ近くの港で、世界中の「原発の天命がまっとうされたことへのお祈り」を人類を代表して、円になって神聖復活目覚めの印を1回組みました。密度の濃い調和のエネルギーが降りた感じがしました。また、釣りをしている方との楽しい交流もあり、和やかなひと時になりました。

 次に三方五湖の絶景が見えるレインボーラインを上り、駐車場から更にケーブルカーに乗り整備された梅丈ヶ岳(400m)の頂上公園で日本海と三方五湖を眼下にお祈りと印を組みました。このお祈りのご褒美に茶屋で各自、ぜんざい、抹茶、コーヒーとお菓子を頂き贅沢な交流の時間を頂きました。 快晴の天気に誘われたのか駐車場は満車でした。

 上りと反対側に降りて三方五湖の一つの三方湖の畔に9月15日にオープンした福井県年縞博物館(水月湖の底から世界のどこにもない、ありえないほど完璧な7万年分もの年縞が採取されました。その長さは45mもあります。水月湖が「奇跡の湖」と呼ばれるゆえんです。)を見学。
 見学後三方湖に流れ入る博物館横の「はす川」の畔で三方五湖と上ってきた梅丈ヶ岳をバックに円になって手を繋いでお祈り、地球と宇宙と一つに繋がった大成就の光りの交流でした。(I)OLYMPUS DIGITAL CAMERA「高速増殖炉”もんじゅ”」の安全な解体作業を祈願(原子炉の冷却に危険なナトリウムを使用)して地区の白城神社でOLYMPUS DIGITAL CAMERA左に美浜原発。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA美浜原発近くの港から敦賀半島最高峰、西方ヶ岳(764m)をバックに。OLYMPUS DIGITAL CAMERA梅丈ヶ岳頂上公園から三方五湖の手前が水月湖と奥が三方湖、左が菅湖OLYMPUS DIGITAL CAMERAお祈りの後、頂上公園で三方五湖をバックにOLYMPUS DIGITAL CAMERA福井県年縞博物館横から三方五湖、梅丈ケ岳をバックに大成就の笑顔です。

 

 

 

 

日本の使命

未分類ブログ

 2011年3月11日に東日本大震災が起こった。約1万6千人の死者と6千人以上の重軽傷者、そして約2千5百人の行方不明者を生んだ。戦後最大の自然災害であった。地震と津波の直接の被害者ばかりではなく、電気や交通が断たれた首都圏の住民も大きな影響を受けた。
 この未曽有の大災害を日本人は見事に耐えた。被災地では、被災者がわずかな食糧・燃料・衣類を分けあい、助けあい、生き延びた。首都圏では徒歩で帰宅する市民に、コンビニや商店が無償で食品やトイレを提供した。公衆電話やタクシー乗り場の前には長い列ができたが、割り込む人はいなかった。他の国ではおそらく起こったであろう、商店への略奪も起こらなかった。普段はバラバラな個人でしかなかった人々が、互いに他者を気遣い、思いやった。
 世界中の人々はこの日本人の姿に深い感銘を受け、インターネット上には「日本のために祈ろう(Praey for  Japan)」という言葉があふれた。あのとき、日本人の善なる本質、いわば神性が輝き出たのだと思う。
 だが、その輝きは閉ざされてしまった。福島原発事故は、「直ちに影響はありません」という言葉で隠蔽された。あれだけの大事故を起こしながら、また世界中が脱原発、再生エネルギーに向かっている中で、日本政府は原発を再稼働しようとしている。原発からはいまだに放射能汚染水が垂れ流しになっていながら、その事実は広く国民が知るところとなっていない。国民も日々の生活に追われ、被災地のことも忘れがちだ。多くの政治家、官僚、財界人は、原発による目先の経済的利益を優先し、使用済み核燃料の処理方法を考えていないようだ。
 現在の日本は、あらゆる面で行き詰まりの様相が濃い。このまま行けば、日本の衰退は避けられないだろう。だが、それを覆すだけの底力を日本人は持っている、と筆者は信じている。そのためには、日本人はあの時をいま一度思い起こさなければならない。目先の利害と自我欲望を超えて、人々への愛と一体感に目覚めたあの輝きの時を。
 さらには、日本中が焼け野原された1945年8月を思い起こさなければならない。あの時、日本人は平和の尊さを知り、憲法9条に平和への意志を込めた。広島・長崎は核兵器による人類絶滅を防ぐために起ち上がった。
 東日本大震災の時に輝いた光は、世界平和への願いと結びつかなければならない。日本ほど、世界平和を純粋に訴えることができる資格を備えた国はない。日本人は今こそ内なる神性を復活させ、「世界人類が平和でありますように」と祈らなければならない。それが世界を平和に導くための日本の使命がある。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年7月号ESSAYより。(I)
 

わらわれたって いいのです。 辻田東造

未分類ブログ

かねちゃんが ろうかで

おしっこ もらして なきました。

みんなが くすくす わらった とき

あしのわるい かっちゃんが

ばけつに みずを くんで きて

さっさと ふいて やりました。

みんなが くすくす わらいだし

おべっかだ

むり すんなよ といいました。

べろを ぺろっと だしました。

でも かっちゃんは へいきな かおで

ぞうきんをあらいに いきました。

びっこ ひき ひき おりて いく とき

あたいが いくとよ

おもわず わたしが かけて いったら

じゃ ふたりでねと かっちゃんは

にっこり わらって いいました。

それから ふたりで

れんげの はな つんで かえりました。

 

『現代少年詩集』ポプラ社・1961
(新日本少年少女全集・第四十巻)から。(素直に自然に良いことが出来ることに感動です。世界人類が平和でありますように。I)

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