日本の使命
2011年3月11日に東日本大震災が起こった。約1万6千人の死者と6千人以上の重軽傷者、そして約2千5百人の行方不明者を生んだ。戦後最大の自然災害であった。地震と津波の直接の被害者ばかりではなく、電気や交通が断たれた首都圏の住民も大きな影響を受けた。
この未曽有の大災害を日本人は見事に耐えた。被災地では、被災者がわずかな食糧・燃料・衣類を分けあい、助けあい、生き延びた。首都圏では徒歩で帰宅する市民に、コンビニや商店が無償で食品やトイレを提供した。公衆電話やタクシー乗り場の前には長い列ができたが、割り込む人はいなかった。他の国ではおそらく起こったであろう、商店への略奪も起こらなかった。普段はバラバラな個人でしかなかった人々が、互いに他者を気遣い、思いやった。
世界中の人々はこの日本人の姿に深い感銘を受け、インターネット上には「日本のために祈ろう(Praey for Japan)」という言葉があふれた。あのとき、日本人の善なる本質、いわば神性が輝き出たのだと思う。
だが、その輝きは閉ざされてしまった。福島原発事故は、「直ちに影響はありません」という言葉で隠蔽された。あれだけの大事故を起こしながら、また世界中が脱原発、再生エネルギーに向かっている中で、日本政府は原発を再稼働しようとしている。原発からはいまだに放射能汚染水が垂れ流しになっていながら、その事実は広く国民が知るところとなっていない。国民も日々の生活に追われ、被災地のことも忘れがちだ。多くの政治家、官僚、財界人は、原発による目先の経済的利益を優先し、使用済み核燃料の処理方法を考えていないようだ。
現在の日本は、あらゆる面で行き詰まりの様相が濃い。このまま行けば、日本の衰退は避けられないだろう。だが、それを覆すだけの底力を日本人は持っている、と筆者は信じている。そのためには、日本人はあの時をいま一度思い起こさなければならない。目先の利害と自我欲望を超えて、人々への愛と一体感に目覚めたあの輝きの時を。
さらには、日本中が焼け野原された1945年8月を思い起こさなければならない。あの時、日本人は平和の尊さを知り、憲法9条に平和への意志を込めた。広島・長崎は核兵器による人類絶滅を防ぐために起ち上がった。
東日本大震災の時に輝いた光は、世界平和への願いと結びつかなければならない。日本ほど、世界平和を純粋に訴えることができる資格を備えた国はない。日本人は今こそ内なる神性を復活させ、「世界人類が平和でありますように」と祈らなければならない。それが世界を平和に導くための日本の使命がある。(N)
月刊新聞「世界平和の祈り」2018年7月号ESSAYより。(I)