白光真宏会-北陸

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五井昌久先生(空独尊)ご法話 「独り在るだけ」  1962年(昭和37年)4月14日(日)  

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  「独り在るだけ」
       1962年(昭和37年)4月14日(日)     五井昌久[空独尊昌久如来」

 

  ( 一 
   
あの世は在るかという事ですね。では、それについて答えましょうね。
本当は自分の想いが自分の世界をつくるのだから、実際のところは、肉体界も幽界も霊界すらもないのです。では何があるかというと、自分の心から出した自分の想念の世界があるだけなのですね。
 
   
私の云う「心」というのは、本心や神霊のひびきということでして、その本心からのひびきのエネルギーを使って、肉体(こちら)の自分が勝手に想い描いているだけなのだから、病弱でも不幸でも災難でも何んでもですが、現在の境涯というものは全部自分でつくったものなのです。

 だから、それは誰のせいでもないのです。それなのに、それを他人のせいにしたりして、それで自分の境遇が悪いなどとホザク奴がいたとするなら、その人は又々ホザク通りの世界をつくってゆくだけ。
 
   
このように、「あの世」というのも、また「この世」というのも、在ってなく、無くてある。だが、いずれも本当のものではない! 本当に在るものは宇宙神という光が唯一つ在って、その絶対なる光の分かれがこの肉体にまで来ているだけです。実在するものは宇宙神なのです。
 
   
逆に言い換えますと、宇宙神から分かれて自分がここにいますね。そうすると自分の他に人がいるわけではないということ。
 
   
ここに皆(みんな)がいるけれど、実は、それはこの自分が見ているのであって、この自分がいなければ誰もいない。自分の目だって手でふさげば何も見えやしない・・・。眠っていれば何も分からないのと同じで、自分がいなければ何も無いでしょう。結局、我在るが故に(、、、、、、)
皆があるのですからね。 
すると「この世の中で在るものは」自分だけということになる。自分ただ一人がある!宇宙神の中の自分ひとりがあるだけなのです。

  (  二 )

    ですから善いことも悪いことも、誰の責任というのでもなく全ては自分一人(いちにん)の責任なのです。そこで自分が偉く立派になるより仕方がないということになる。

    自分の心を正しく神のひびきと一つにすれば、目の前に現れてくるものは何でも神のみ心となってくる。
みんな神の光明になって現れてくるわけです。

   
自分の前にどんな悪い人や悪い事が出てこようとも、それは自分のものであり、自分の姿が映っているだけなのですよ。自分の出した誤った想念がそこに現れているだけだから、現れた事に文句を云うより、自分に文句をいった方がいいのだけれども、でも、それでは何の解決にもならないから、消えてゆく姿にして世界平和の祈りの中に入れなさい、というのです。
 
  
よく「私はあの人の為にこんな事をしてやった」「あんな事もしてやった」ということをいうけれども、そんな事はありゃしない! あの人もこの人もない! それは全て自分の為に尽くしているのであって、相手に尽くした事は自分にいいのだし、相手を憎めば自分が損なだけ。自分の他に人はいないのだかれね。
 
  
それなのに、あの人の為に尽くした、あの人の為に祈ってやったなどと「生意気な事を云うな」と私はいう。あの人の為に尽くすもなければ、あの人の為に祈るもないのですよ。それは全て自分の為にやっていること。自分しかいないのだから、自分が祈りそのものになればいいというわけです。
 
  
それから一々他人(ひと)と比べる者もあるが、比べる必要も全くない。自分が立派になること以外にすることはない。そうすると此の世もあの世もなく、在るのは宇宙神のひびきに光が在るだけということが、私たちにはよく分かる。
 
  
いいですか・・・
 殴った奴は殴られる!
 奪ったものは奪われる!
 与えたものは与えられる!
というのは当然のこと。

  
だから、果たすべきは果たさなければならないし、尽くすべきは尽くさなければならないようになっている。
私のように前生からの事が分かれば先手を打つこともできるが、でも普通の場合は分からないでしょう。

 そこで突然急に貪り(むさぼ) 取られて騙されように見えようとも、やられた事は、それがどんな嫌な事でも辛い事でも、これは過去世の因縁を返したのだな、これで私の本心が開きました。
 
私は心が身体(からだ)がきれいになりました。″ああ有難うございます″というような気持ちになれば、その人は本当に天晴(あっぱ)れですよ。そうなれば、もう不平も不満もないでしょう。そういうのが本当の宗教的な事というのですからね。

    ( 三 )

 そこで横の考えとしては、何でも置かれた環境は全て過去世の因縁の消えてゆくものとして、ここに現れて来ているのだと受け止め。
 
   
縦の考え方としては、自分は神と一つであり、自分が光ることは神様が光ることだし、自分が立派になることは神様を顕現すること。だから何も他人(ひと) のために尽くしているのでもなく、全部自分の為にやっているのだと思っていれば、そのまま神様を顕現すること。だから誰のために尽くしているのでもなく、全部自分の為にやっているのだと思っていれば、そのまま神様のみ心に適うことになるし、それが神様への本心への奉仕にもなるというのです。
 
  
こうした縦横の考え方を踏まえていれば、後はもう一々あれこれ詮索しないでも、消えてゆく姿で世界平和の祈りをするだけでいいのです。
 
  
そこで一番大事なことは、他人(ひと)のことはどうでもいいんだ・・・本当はね。それよりも先ずは自分が立派になること。自分が本心の中に入って神様と一つの生き方になる事であって、他人(ひと)が何を言っていようと、何をやっていようと、そんなことは知ったことではないし、目をくれることもない。そんな事は全部消えてゆく姿。いいものは残るし悪いものは自然に消えてゆく。やがて先生が全部消します!
 
  
だからあんまり他人の事には気を揉まないで、そんな事に無駄なエネルギーを使わないで、寛大な心になって、先ずは自分が平安で幸せに生きること。
そうすればこの世は黙っていても平和になりますよ。 (五井先生ご法話・音声

  

平成29年10月21日(土)、富山県の牛岳山頂近くのピースポール立替(標高約千メートル)。

富山ブログ

台風21号が日本に接近中の10月21日、富山の法友4人で牛岳山頂近くにある牛嶽大明神の境内に立っていたピースポールの立て替えをしました。ピースポールは長年の風雪により大きく傾き、基がひび割れていました。

新しいピースポールは、前のものよりも深く埋設して雪により耐えられるようにしました。

立て替え後、皆でピースポールのまわりで世界平和の祈りを祈り、人類即神也の印を組んだ後、祠の前で神様にご挨拶をして、祠のまわりで4人で四方に向かって神聖復活目覚めの印を7回組みました。

その後、建て替えたピースポールのまわりで記念写真を撮っていると、雲間から太陽が現れて祝福してくださいました。

牛岳は、標高約千メートルで、360度の眺望があり、砺波平野、富山平野、富山湾、立山連峰が見渡せます。

新しいピースポールから世界平和の響きが四方八方に放たれているように感じました。

のるかそるかの大変な年に立て替えをすることができて本当によかったと思います。

世界人類が平和でありますように 無限なる感謝!(記:寺尾)

牛岳1(変換後)  立山連峰と牛岳山頂近くにある牛嶽大明神の境内の新しいピースポール。

牛岳3(変換後)
 (●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してピースポール建立などの平和活動も行っております。)

『戦わない闘い』 : 青い鳥通信第72号から

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 先日、NPO 法人の関係者を対象とした映画の試写会がありました。『カンタ・ティモール(ティモール万歳!)』というタイトルの映画です。映画の題名となった東ティモールは、2002年にインドネシアから独立しましたが、20年の独立運動の間に、人口150万人のうち、実に1/3 の50万人が殺されました。

 映画の中では、残虐な処刑シーンや死体、イラストによる拷問やレイプのシーンもありました。(この映画には、視聴年齢の制限があります。)しかし、多くは東ティモールの方々の笑顔や子供が楽しそうに遊ぶシーン、歌や踊りのシーンで、悲壮感はありません。

 インドネシア軍による蛮行(その資金の一部は日本政府からの支援金も含まれているのですが、東ティモールには石油やレアメタルなどが産出されるため。)にもかかわらず、東ティモールの方々は武力での抵抗をせず、インドネシア軍の捕虜に対しても殺害することも、拷問することもせず、「なぜこんなことをするんだ。私たちは家族や仲間と仲良く暮らしたいだけだ。自分たちの文化や森や神々の住むこの土地を大切にしたいだけだ。」と彼らは間違いをこんこんと諭し、無傷のまま釈放しつづけました。 20年も繰り返しますが、自分の妻をレイプし、両親や兄弟や子供たちを殺したかもしれない相手をですよ。

 彼らの無抵抗の闘いは、やがてインドネシア国内からも、ティモールの人々を殺すな、東ティモールの独立を認めろ!との運動となり、インドネシア国内の世論を無視できなくなった政府は東ティモール独立の是非を問う国民投票を余儀なくされ、数々の弾圧にもかかわらず、90㌫以上という圧倒的多数の賛成で見事に独立を勝ち取りました。

 これだけの死者を出したにもかかわらず、東ティモールには孤児がいないのです。村全体で子どもを育てているからです。映画のラストシーンでの、すべての子どもを殺された老人の言葉には特に感動しました。「ひとりぼっちになってしまった。悲しいよ。でも、恨んじゃいない。今日を歌って踊って楽しく過ごすだけさ。」と
 ティモールの方々は武器を持って戦ってはいません。彼らが闘ったのは、インドネシア兵ではなく、悲しみや苦しみ、恨みや憎しみという自分自身の暗黒面(エゴ)です。そして、見事に勝利し独立を勝ち取ったのです。皆さんはスターウォーズのラストシーンを覚えているでしょうか?主役のルークは最後に剣を捨てました。それがダークスペイダーを暗黒面(エゴ・とらわれ)から開放することになりました。

 東ティモールの人々の闘いは、武器こそ手にしていませんが、壮絶な闘いでした。その闘いに勝利した方々が100万人もいらっしゃったとは、なんと心強いことでしょう。イエス・キリストは死の間際に、処刑人を許す仕草をしたとされていますが、彼らの中にも同じ尊さを強さを感にさせていただきました。いずれ、呉でも上映の機会をつくりたいと思います。

(平成25年4月号 青い鳥通信第72号 から)

「世界人類が平和でありますように」の祈りは東ティモールの人々と同じ心同じ行為です。(I)

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」

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  文章には能動態と受動態がある。例えば、一般には「コロンブスは1492年にアメリカ大陸を発見した」と表記する。しかし大陸側から見れば別の表現になる▼「コロンブスにより発見された」。遠い昔から当地に住み独自の文化を築いてきた先住民には、新発見自体が事実誤認であり、侵略を招いた負の歴史でもある▼

 同じ文脈で強く印象に残る一文がある。2013年度新聞広告コンテストで最優秀賞に輝いた作品だ。「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」▼鉛筆で書かれたであろう文字はたどたどしい。赤鬼の子は右手に金棒、トラ皮のパンツをはく。その頬を涙が伝う。そして警句が添えてある。「一方的な『めでたし、めでたし』を生まないために」▼

 広告のテーマは「しあわせ」。制作者は「ある人に幸せを感じることも反対の立場や別の時代だったらそう思えない。視点によって幸せは変わる」とコメントしている▼概して権力を有する人は能動的思考が強い。

 ミサイル開発に執着する北朝鮮の指導者は、巨額の発射費用が人民の生活を脅かすことなど無頓着のようだ▼移民締め出しなど放言が相次ぐ米大統領は、過激な白人至上主義者を養護し非難の嵐。

 日本の首相も上から目線で不誠実な発言が目に余る。指導者たるもの、受動態の視点を持ち人の痛みを知ることが肝心である。

(2017年8月27日:福井新聞 越山若水より)

「世界人類が平和でありますように」はすべての人を幸せに導く。(I)

2017年7月30日。富山県護国神社WPPCの報告。

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 富山国旗富山WPPC 富山護国神社

 これまでは、本県と近県の法友、その家族等が参加する形のWPPCを続けてきましたが、今年は一般の方に広く参加していただこうと思い、集会の法友に呼びかけ、つながりのある友人、知人、親戚など心に思い浮かぶ方々や、国際交流関係の団体にも声をかけて参加をお願いしました。新聞社にも案内し取材を依頼しました。

 その結果、50名近くの方が参加してくださり、当日新聞社2社から取材があり、翌日と翌々日に写真と記事を掲載していただきました。

 チラシを作ったり、新聞社に行事を説明する準備をする過程で、WPPCがワールド・ピース・プレヤー・ソサエティーの主なプロジェクト活動の一つであること、ソサエティーは宗教ではないこと、アメリカで1988年に設立された社会教育法人であり、1990年には国連広報部に承認されたNGOであること、WPPCは世界各地で広く開催されている行事であることなどがハッキリと意識されていきました。

 そう言った意味で、今回の護國神社WPPCは、新しいWPPC開催の第一歩であったと思っています。また、今回の開催で改善すべき点も色々と見えてきました。各地で行われているWPPCの様子にも関心が高まりました。今後は、より開かれたWPPCとなるよう、進化発展バージョンアップしていきたいと思います。

 県外から参加してくださった法友の皆さまに、この場をお借りして感謝申し上げます。

 今後ともご意見とご協力をよろしくお願い申し上げます。

 世界人類が平和でありますように

(文責:ワールド・ピース・プレヤー・ソサエティーに賛同する富山グループ代表 寺尾 純)

8/1、北日本新聞に8/2北陸中日新聞に掲載されました。北日本新聞北陸中日新聞

(●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してWPPCなどの平和活動も行っております。)

あの切なさが人生には必要なのだ。 (欽ちゃんの初恋) :みやざき中央新聞から

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   (前文略) 昨年、萩本欽一さんのプライベートな秘話をドラマ化した『欽ちゃんの初恋』をBSテレビで観た。
 1970年代、欽ちゃんは国民的スターに躍り出た。子どもからお年寄りまで
、家族みんなが一緒に笑って見ていられる「お茶の間のアイドル」になった。スキャンダルといったものから一番遠い芸能人が欽ちゃんだった。
 だから欽ちゃんは苦悩していた。自分には恋人がいて、しかも相手はストリップ劇場の元ダンサーで
、既に子どもまでいる。それを1年以上も隠していた。もしマスコミにバレたらスキャンダル扱いされ、ファンからは「裏切られた」とそっぽを向かれる。そして芸能界にいられなくなると恐れていた。
 欽ちゃんと出会った頃のみゆき姉さんはフランス座のトップダンサーだった。先輩芸能人にお茶を運んだり、楽屋の掃除をしていた欽ちゃんにとって彼女は憧れのスター、高嶺の花だった。
 ところが、健気に働く欽ちゃんが、みゆき姉さんの目に留まった。彼女は、うだつの上らない欽ちゃんにご飯をおごってあげたり、お小遣いを渡したり、弟のようにかわいがった。挙句の果てに欽ちゃんの安アパートに転がり込み、寝泊まりするようになった。
 やがて欽ちゃんは「コント55号」で大ブレイクし、時代の寵児になった。
 そんな時、週刊誌に「萩本欽一、浅草のダンサーと同棲」とスプークされた。それを読んだみゆき姉さんは姿を消した。
 数年後、テレビで活躍するその合間を縫って。欽ちゃんは夜の店で働く彼女を探し出した。「僕はあなたがいたから頑張れたんだ。なぜいなくなったの?」と泣きじゃくる欽ちゃんに、みゆき姉さんは言った。「あなたが『欽ちゃん』だから。またマスコミにかぎつけられるよ」 「僕はあなたを幸せにしたい。僕があなたにしてあげられることは何?」
 しばらく考えて彼女は言った。「強いて挙げるなら子どもかな。あなたの子どもがいれば、親子2人幸せに生きていける」
 その後、また彼女はまた姿を消した。欽ちゃんに電話が掛かってきたのは1年ほど経った頃だった。「子どもが生まれた。名前を付けて」と言われ。驚いた。妊娠したことすら知らなかったからだ。

 欽ちゃんは、「週刊誌から叩かれてもいい。芸能界にいられなくなったら辞めたっていい」と決心して記者会見を開いた。「実はね、ボク結婚してました。子どももいまーす」と、欽ちゃんらしくおどけた。
 偶然テレビを見ていたみゆき姉さん、「あれ?私のことを言っている」と気付き、そのプロポーズに一筋の涙を流した。
 そして週刊誌は好意的に報道し、ファンは欽ちゃんを祝福した。
 同棲して別れ、再会して子どもをつくってまた別れ、また再会してやっとゴールイン。13年もかかった。「勢い」なんてなかった。切なさだけの恋だった。
 いつの時代も人は誰かを好きになると切なくなる。あの切なさが恋をドラマチックな物語にしていくのだろう。
 恋は少し古典的なほうが、味があっていい。

(2017年2月13日 みやざき中央新聞社説から)

 この話しは下関の中野利夫さんからの提供です。そして下記は中野さんと欽ちゃんの感動の思い出です。 
 「昔タクシーの運転手をしていた時、萩本欽一さんがNHKの職員さんと一緒に乗ってこられました。話していて、私が「萩本さん、ウチの会社、倒産して、他の会社に買収されるんですよ」と少々情けない口調で言うと、とても前向きな言葉で励まして下さいました。ピースドールを差し出すと、「僕はこういうの(宗教)は信じないんだよ」と言われましたが、チャンと受け取って下さいました。北九州空港で降りられる時、お願いすると、通行料金の小さなレシートの裏に「世界人類が平和でありますように」を3行に分けて書いて下さり、笑顔で降りて行かれました。
・・・・萩本欽一様即神也・・・・神性復活大成就・・・・・・・
・・・・人類即神也・・・・・・・・・・神性復活大成就・・・・・・・

真実に生きる。(真実に生きる 自分の言葉と歩む天皇):月刊新聞「世界平和の祈り」より

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 四月の朝日新聞に憲法学者の蜷川恒正・日本大学教授が「真実に生きる 自らの言葉と歩む天皇」という文章を寄せている。その中で蜷川氏は、天皇陛下が2013年10月27日、熊本県水俣市を初めて訪れ、水俣患者の話を聞いたあとに述べたお言葉を紹介している。
 「やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく。そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています」
 天皇陛下は通常、行事で述べる「お言葉」は、各方面に配慮して事前に作成なさるが、蜷川氏は、これは「事前に用意された「おことば」ではない。天皇が返礼に自らの思いを述べるのは異例である」と述べている。
 水俣病は196年に発見された公害病である。その原因物質が新日本窒素肥料の工場から排出された水銀であることは、当初から疑われていたが、それが科学的にも確認されたのは1967年であった。原因が解明されなかったので、患者は肉体的に苦しむだけでなく、社会的な差別もうけた。企業や国はなかなか責任を認めず、被害者への補償と救済が遅れたが、2004年に最高裁が企業と国の責任を認めた。しかし、水俣病患者と認定されなかった人々の不満は残っているし、患者や水俣出身者への差別もいまだ続いているという。
 陛下のお言葉の中には、今の日本社会は「真実に生きるということ」「自分が正しくあること」が困難な社会である、というニュアンスが含まれているように感じられる。
 たしかに、国や大企業が公害の責任を嘘と言い逃れてごまかすのは、真実に生きることではないだろう。また、病気や障害を背負った人々が、差別や偏見の目にさらされていては、自分が自分として正しく生きることも困難であろう。
 蜷川氏は「『真実に生きる』とは、あるべき自分の生き方に忠実に生きることであり、それを天皇は、すべての個人に励まし、それができる社会へと向かう努力を自他に求めたのである」と述べている。
 このお言葉はまた、陛下ご自身へのいましめでもあろう。陛下ほど日本国憲法に忠実で、誠実な生き方を追求なさった方はおられない。陛下は常に災害の被害者、傷害を抱えた人々に寄り添い、励まし、国民のすべての幸福を祈ってこられた。毎年10月には水俣に思いをお寄せしているという。それが「象徴天皇」としての首尾一貫した歩みであった。老齢によって、そのありか方が困難になったとお感じになられての退位のご意向であると拝察申し上げる。
 陛下のお言葉が尊重されることを心から願う次第である。       (N)

月刊新聞「世界平和の祈り」平成29年7月号エッセイより

 

「人類即神也」の体験談。(屋久島の縄文杉に会いにいって)        

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  10数年前に友人2人と屋久島の縄文杉に会いにいった時の話です。
  急な山道を歩いていると、鹿の親子が突然現れ、私達の前になり横になり、まるで道案内するようにくっついていました。あ~山の神様に迎えられているなあと感じて嬉しくなりました。
  私は急な道なき道を感謝行をしながら登っていました。「山さんありがとうございます」 「大地さんありがとうございます」 「岩さんありがとうございます」 「動物さんありがとうございます」 「植物さんありがとうございます」 と声に出して言ったり心の中で唱えたりしていたのですが、いつの真にか「人類即神也、人類即神也。人類即神也、・・・」 の唱名に変わってしまうのです。何回やり直してもそうなりました。私は今、この大自然に感謝したいと思っていると、 「あなたが私達に感謝しているのはわかっています。そういう人こそ、人類を目覚めさせて下さい」 という言葉が心に強く響いてきました。
  そうか人類即神也こそ、究極の地球世界感謝行だと思いました。人類さえ目覚めればすぐにでもこの地球は救われる、大自然は生かされた命をそのまま素直に生きている、人類だけが自然を地球を汚している。
  同じ種として、地球への感謝ができる私達こそが人類を目覚めさせる責任がある。
  まっててね自然さん、地球さん。祈りの仲間と必ず人類を目覚めさせます。 と誓いました。
  私はこの屋久島で、自分の意思に関係なく人類即神也の唱名が自然と鳴り響いて繰り返すことになりましたが、もちろんその後、縄文杉の前で「人類即神也の印」 を捧げました。
  私達が到着すると、前にいた登山者が帰って行き。私達だけになり誰にも遠慮する事無く皆で「人類即神也の印」 を心置きなく組むことができました。そして帰る時になると、次の登山者が来たのでした。
  縄文杉からは、ただただ慈愛のエネルギーが流れていました。人類の愚かさを何千年も見て来てあきれているだろうと思っていましたが、責める思いもなにも無く、ひたすら慈愛のエネルギーを送り続けてくださっている存在でした。その場にいた会員さんが「女神のエネルギー」 を感じました。縄文杉は女神でした、慈愛そのものでした。
  

  自然は人類が目覚めるのを待ってくれています。私達に期待してしています。そして人類を目覚めさせる一番の方法が「人類即神也の印」 なのです。
  本当にうれしいです。私達は祈りや印、感謝行によって、人類滅亡ではなく、自然と共生して生きる時代を創れるのですから。
  私は自然界とは完全に繋がっていると確信しています。それならば同じ人間同士はもっと繋がっているはずです。真理を理解し、世界を平和にする方法を知っている私達こそが人類を目覚めさす責任があります。
皆様共に祈って参りましょう。宜しくお願い致します。                                                                                    山際

(ある集会で、Tさんが山際さんにお願いされて頂いたこの体験談の文章のコピーを頂きました。素晴らしい内容でしたので、直接山際さんにお願いして掲載の許可をいただきました。I)

『私の履歴書』(25) 大橋光夫 (昭和電工最高顧問)

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自国主義の広がり憂う  『五井平和財団の活動に共鳴』


 「紛争なき世界」  

 いくつかの団体で役員を務めているが、いつも心が洗われ豊な気持ちになるのは、理事として関わる公益財団法人、五井平和財団の活動だ。世界が急速に内向き志向を強めるいま、国家間の緊張の高まりにどう対処するか。経済人としての思いが募る。

 五井平和財団は1980年に逝去した哲学者、五井昌久氏が主導した祈りによる世界平和運動を原点とする。個々の宗教と一線を画し、日本の精神性を大事にしながら国際社会の乱れや紛争を防ごうとする運動だ。

 五井氏には生前お会いした。底抜けに明るく全てを包み込むような人だった。東洋思想の第一人者で歴代首相が師と仰いだ哲学者。安岡正篤氏とは肝胆相照らす仲だった。

 「五井さんは情の人である。人間は清らかさと明るさがなければならぬ。五井さんはそこが人を引きつけるのだろう」と安岡氏は記した。
 富士製鉄の永野重雄、日本精工の今里広記、伊藤忠商事の越後正一、日本生命保険の弘世現、住友軽金属工業(現UACJ)の田中季雄、義父で富士銀行の岩佐凱実の各氏ら十数人の経済人が「五井会」を作って応援した。かっては政治家、経済人を問わず各界のリーダーが高い精神性を保つ心の余裕があった。

 今の政治家は小選挙区制の下で次の選挙の勝利だけを考える。企業経営者は機関投資家など株主の監視下で短期の決算数字だけを考え、長期的視点での発想に欠けるように感じる。先人の問題意識を十分に受け継ぐ人が少ないように思える。やや残念だ。

 五井氏の精神を引き継ぎ財団が設立されたのが99年。ドイツとフランスが恩讐を超え、欧州単一通貨ユーロを誕生させた年だ。五井氏の養女、昌美さんが会長を務め、西園寺公望氏の曽孫、裕夫氏が理事長を努める。夫妻とは40年を超す交際になる。新鮮で未来に向けた希望に満ちた話題に花が咲く。貴重な心の友だ。

 五井平和財団は2004年に国連経済社会理事会の特別協議資格を持つ非政府組織(NGO)として承認を受けた。06年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)との公式関係を持つ財団に認定された。

 毎年、世界平和に貢献した人を「五井平和賞」として表彰する。00年の第一回の生態学者ジェームズ・ラブロック氏をはじめ、ゴルバチョフ旧ソ連大統領、米マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏らが表彰されている。

 理事を務める元国連事務次長の明石康さんは「学生や若者との連携や協力を重んじて平和意識を高めようとする財団の役割は重要だ」と、数々の国際紛争に関わってきた経験をもとに話す。

 英国が欧州連合(EU)からの離脱を決め、今年の欧州各国の選挙は反EU政党の伸長がが焦点になっている。トランプ米大統領は自国優先を鮮明にし、「自由を求める者は誰でも来たれ」という建国以来の精神が揺らいでいる。

 古代ローマ五賢帝の時代は欧州、中東、アフリカの広範な地域で300年も平和が続いた。統治者のローマ人が属洲とした近隣国の人に極めて寛容だったことと、軍縮と同時に属洲での公共投資を重視したことが理由だ。

 国際社会は不寛容と一国主義に向かうリスクに直面する。だが原点から平和を考え、訴え続ければ、紛争なき世界への道はきっと開ける。
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日本経済新聞:2017年2月26日、「私の履歴書」(25)。から

「五井平和財団コナ-」

真珠湾 (月刊新聞「世界平和の祈り」より)

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 阿部首相は2016年12月27日午後(日本時間)、オバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館を訪れ、戦没米兵に黙祷を捧げた。

 言うまでもなく、真珠湾は日米開戦の地である。この戦争で多くの日本人将兵が、そして広島・長崎や沖縄や東京では多くの民間人が殺された。しかし、敗戦によって、日本は戦前の非民主的な軍国主義から開放され、民主的な平和国家として新生した。このような大きな犠牲がなければ、現在の日本は生まれなかったのである。

 世界平和の祈りの提唱者・五井昌久先生は、真珠湾を1971年(昭和46年)8月15日に訪れた。そのときハワイの神様から、真珠湾攻撃の意義について、次のようなメッセージを受けた。

 「真珠湾攻撃は、日本が仕かけたのでも、米国が誘いの隙を見せて、日本に仕かけさせたのでもない。日米双方の業(カルマ)を浄めるために、そして、日米双方が真実の兄弟として力を合わせて、人類世界の進化を計るために、神によって計画された戦いであった」

 ハワイの神様はさらにこう続けた。
 「アメリカに無駄な戦争を止めさせ、アメリカの足らざるところを補うのは日本よりない。それをアメリカの悪の面に日本が同調してはいけない。日本は日本の天命の和の精神を持ちつづけて、アメリカの力となり、今後の戦争を一切防いで、調和した地球にしなければならない。その点で、あなたの運動(世界平和の祈りの運動)は特筆大書すべき大運動であるから、こちらでも大いにあなたの援助をする。どうぞ日米双方の助け合いに力をつくして下さい」

 戦後、日米は世界でも類を見ない緊密な政治的・文化的そして軍事的な結びつきを作った。最近はよく日米軍事同盟ということさえ言われる。

 しかし、現在のような日米関係は、ハワイの神様が託した「アメリカの悪の面に日本が同調してはいけない」というメッセージに叶ったものだろうか?むしろ、アメリカが行う大義なき戦争を無批判に支持してきたのが、戦後の日米関係ではなかっただろうか。

 真実の兄弟であるならば、相手が間違ったことをしようとするときには、たとえ相手から嫌われようと、「そういうことはやめましょう」と忠告するであろう。相手のなすことにすべて唯々諾々としてついて行くことは、相手のためにもならないし、自分も傷つけることになるだろう。

 アメリカが悪の道に入らないように、日本が毅然とした愛の助言ができるようになるためには、日本国民の一致した世界平和の祈りが必要なのである。(N)

(月刊新聞「世界平和の祈り」平成29年2月号エッセイより・太字は当方によります)

 ◎:世界平和の祈り

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