憲法九条の起源 (月刊新聞「世界平和の祈り」から)
安部晋三首相は3月2日の参院予算委員会で、「私は在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べた。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌5月3日に施行された。誕生から70年もたち、現在の社会情勢とそぐわない面も出てきている。たとえば政教分離を定めた89条によれば、ミッションスクールなどの宗教的私立学校への助成は憲法違反になる。現憲法には、今日では常識となっている環境権という大切な思想が含まれていない。
しかし、安部首相が最も問題にするのは、現憲法、とくに戦争放棄を定めた第九条が、日本が占領下にあった時代に、アメリカによって押しつけられたという点である。これを日本人の手によって作り直し、日本も正式な国防軍を持ち、集団的自衛権を堂々と行使したい、と現在の自公政権は考えている。
現憲法がアメリカによって押しつけられた面が強いことは歴史的な事実である。日本側が松本丞治国務大臣を中心として作成した憲法草案を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に提出したところ、この試案が明治憲法とあまり変わっていないことから、GHQはこれを拒否し、独自の草案、いわゆる「マッカーサー草案」を日本側に提示した。そしてこの「マッカーサー草案」がもとになって日本国憲法が作成された。
では、戦争放棄の9条はどのようにして「マッカーサー草案」に、そして日本国憲法に書き込まれたのか。この問題は憲法学者の間でも長年、議論になってきた。保守的な政治家や評論家の中には、9条は日本を弱体化させるために、連合軍最高司令官マッカーサーによって押しつけられた、と主張する人々がいる。
2月25日のテレビ朝日の「報道ステーション」は、国立公文書館から発掘された、岸内閣時代の憲法調査会の音声資料を紹介していた。その中には、中部日本新聞の小山武夫氏が、「当時の首相の幣原喜重郎氏から(9条は自分が発案し、マッカーサーに提言した)とオフレコで聞いた」という証言録音が存在した。この証言によると、9条は確かに押しつけられたものかもしれないが、その背後に日本人の発案があったということになる。
それでは幣原はなぜ、当時としては途方もない理想主義的なアイデアを思いついたのか? その背後には、第二次世界大戦で未曾有の苦難をこうむった日本国民の平和への願いがあった。そしてさらに、日本を二度と戦火に巻き込んではならないという、昭和天皇の強い意志があった。天皇はマッカーサーと幣原に、戦争放棄の条項を憲法に書き込むように要望し、両者は巧みな連携プレーでそれを実現したと言われている(渡邊和見「憲法の真髄と日本の未来」今日の話題社)。(N)
(月刊新聞「世界平和の祈り」平成28年4月号エッセイより・太字は当方によります)