白光真宏会-北陸

ブログ

僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。

福井ブログ

 学校の先生だって人間だから担任のクラスに好きになれない教え子がいたって仕方がない。が、それでもその子を気に掛ける先生かどうかで、道は分かれそうだ▲
 その先生が5年生の担任になったとき、服装が不潔でだらしない少年がいた。どうしても好きになれずに、中間記録には少年の悪いところばかりを書き込んだ▲あるとき、少年の1年生からの記録が目に留まった。もともとは朗らかで勉強もよくできたのに、母親が病死して希望を失い、父親から暴力を受けていたと知った▲

 「心に響く小さな5つの物語」(致知出版社)に収められている実話である。このとき先生の心は激しく痛んだ。そして少年に声を掛け、教室で毎日、彼の予習復習に付き合った▲
 結末が心に残る。1年間だけの担任だったが、節目ごとにカードが届くようになった。彼が医師になった。結婚式の招待状が来た。「母の席に座ってください」と書かれていた▲別のカードには心からの感謝の言葉がつづられていた。「あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます」と▲
 
 さまざまな事情を抱え、多感な年頃ゆえに悩みも深い。少年少女と向かい合う先生はつくづく大変だ。近頃は事務量も膨大でこの上もなく忙しい。「神様のよう」と言ってもらえる機会を、先生から奪っていやしないか、と気掛かりだ。

2018年3月4日。福井新聞「越山若水」より。世界人類が平和でありますように(I)

 

クルーズ船

石川ブログ

金岩
ほっと石川に掲載されていたクルーズ船についてお話しさせて下さい。
 『石川県ではクルーズ船の増加に対応するため、開港以来の大改修となる機能強化整備を進めています。大型化するクルーズ船2隻同時に接岸できるように無量寺埠頭の水深を10メートルまで深くします。併せて老朽化している金沢港会館を改築し、クルーズ船が2隻同時に寄港した際にも対応できる出入国手続き・待合施設・観光案内などを備えた金沢港クルーズターミナルを整備します。後省略』と書かれています。

 このクルーズ船と新幹線とが好調に推移し、相乗経済効果に期待がとても高まっています。現在、金沢港は大改修工事が行われています。
 今、金石海岸の海の景色は驚くど大きく変貌しました。数年ほど前までは、すぐそこに海が見え砂浜に波が打ち寄せるという、海の自然な風景がありましたが、クルーズ船等大型化した船の寄港のため、海底を深くする必要があり、大量の土砂が近くの金石海岸に運び続けられました。その結果1キロ以上埋め立てられ、海すら見ることができません。あの砂浜や波打ち際はどこにいってしまったのでしょうか。クルーズ船が2隻同時に寄港するためには、後どれだけの海底の土砂を掘って、どこへ運ぶというのでしょうか。
 私もクルーズ船に乗り優雅に船旅もしたいと思う反面、子供の頃よくこの海で海水浴をして楽しく遊んだ思い出が忘れられません。

 1カ月ほど前の新聞に、大きな鯨が痩せほそり餓死した状態で砂浜に打上げられ、解剖した結果、胃袋の中に6トンもの大量のプラスチック製品のゴミがあった。と記事が載っていました。6トンとはどれ程なのか想像もつきませんが、かわいそうで涙がポロポロ溢れ出てしまいました。
 海を司る神様は、深く悲しみ嘆いていられると思います。私達の自我欲望から自然を破壊し、生物の生命を脅かす事に早くストップしなければなりません。
 私達は、ちょっとした天変地異や異常気象で自然の怖さを身をもって知っていますが、自然を簡単に変えてしまって、豊かさや便利さを求めてしまいます。自然環境を簡単に変えてしまうのに、自然災害にはいつも畏怖します。
 地球世界感謝行を一人でも多くの人達と心を一つに祈れる日が早く来るようにと願っています。
                                                                                                            (金沢支部 和布浦明子)

                         金石海岸20141227215618 

      

人類を代表して原発への祈り。

福井ブログ

 平成30年11月10日(土)、翌日の生田目和幸さんの福井支部講話会の前日、JR敦賀駅で生田目さん始め福井支部のメンバー9名が合流、車2台に分乗して、敦賀半島の水晶浜の美しい砂浜の左に美浜原発を見ながらトンネルをくぐり抜けて敦賀半島先端の白木地区にある「高速増殖炉”もんじゅ”」の安全な解体作業を祈願(原子炉の冷却に危険なナトリウムを使用)して地区の白城神社で祈願のお祈りと印を組みました。

 戻ってトンネルを出ると右手に再度美浜原発が見えてきました。県道を右に曲がり美浜町丹生地区の美浜原発すぐ近くの港で、世界中の「原発の天命がまっとうされたことへのお祈り」を人類を代表して、円になって神聖復活目覚めの印を1回組みました。密度の濃い調和のエネルギーが降りた感じがしました。また、釣りをしている方との楽しい交流もあり、和やかなひと時になりました。

 次に三方五湖の絶景が見えるレインボーラインを上り、駐車場から更にケーブルカーに乗り整備された梅丈ヶ岳(400m)の頂上公園で日本海と三方五湖を眼下にお祈りと印を組みました。このお祈りのご褒美に茶屋で各自、ぜんざい、抹茶、コーヒーとお菓子を頂き贅沢な交流の時間を頂きました。 快晴の天気に誘われたのか駐車場は満車でした。

 上りと反対側に降りて三方五湖の一つの三方湖の畔に9月15日にオープンした福井県年縞博物館(水月湖の底から世界のどこにもない、ありえないほど完璧な7万年分もの年縞が採取されました。その長さは45mもあります。水月湖が「奇跡の湖」と呼ばれるゆえんです。)を見学。
 見学後三方湖に流れ入る博物館横の「はす川」の畔で三方五湖と上ってきた梅丈ヶ岳をバックに円になって手を繋いでお祈り、地球と宇宙と一つに繋がった大成就の光りの交流でした。(I)OLYMPUS DIGITAL CAMERA「高速増殖炉”もんじゅ”」の安全な解体作業を祈願(原子炉の冷却に危険なナトリウムを使用)して地区の白城神社でOLYMPUS DIGITAL CAMERA左に美浜原発。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA美浜原発近くの港から敦賀半島最高峰、西方ヶ岳(764m)をバックに。OLYMPUS DIGITAL CAMERA梅丈ヶ岳頂上公園から三方五湖の手前が水月湖と奥が三方湖、左が菅湖OLYMPUS DIGITAL CAMERAお祈りの後、頂上公園で三方五湖をバックにOLYMPUS DIGITAL CAMERA福井県年縞博物館横から三方五湖、梅丈ケ岳をバックに大成就の笑顔です。

 

 

 

 

日本の使命

未分類ブログ

 2011年3月11日に東日本大震災が起こった。約1万6千人の死者と6千人以上の重軽傷者、そして約2千5百人の行方不明者を生んだ。戦後最大の自然災害であった。地震と津波の直接の被害者ばかりではなく、電気や交通が断たれた首都圏の住民も大きな影響を受けた。
 この未曽有の大災害を日本人は見事に耐えた。被災地では、被災者がわずかな食糧・燃料・衣類を分けあい、助けあい、生き延びた。首都圏では徒歩で帰宅する市民に、コンビニや商店が無償で食品やトイレを提供した。公衆電話やタクシー乗り場の前には長い列ができたが、割り込む人はいなかった。他の国ではおそらく起こったであろう、商店への略奪も起こらなかった。普段はバラバラな個人でしかなかった人々が、互いに他者を気遣い、思いやった。
 世界中の人々はこの日本人の姿に深い感銘を受け、インターネット上には「日本のために祈ろう(Praey for  Japan)」という言葉があふれた。あのとき、日本人の善なる本質、いわば神性が輝き出たのだと思う。
 だが、その輝きは閉ざされてしまった。福島原発事故は、「直ちに影響はありません」という言葉で隠蔽された。あれだけの大事故を起こしながら、また世界中が脱原発、再生エネルギーに向かっている中で、日本政府は原発を再稼働しようとしている。原発からはいまだに放射能汚染水が垂れ流しになっていながら、その事実は広く国民が知るところとなっていない。国民も日々の生活に追われ、被災地のことも忘れがちだ。多くの政治家、官僚、財界人は、原発による目先の経済的利益を優先し、使用済み核燃料の処理方法を考えていないようだ。
 現在の日本は、あらゆる面で行き詰まりの様相が濃い。このまま行けば、日本の衰退は避けられないだろう。だが、それを覆すだけの底力を日本人は持っている、と筆者は信じている。そのためには、日本人はあの時をいま一度思い起こさなければならない。目先の利害と自我欲望を超えて、人々への愛と一体感に目覚めたあの輝きの時を。
 さらには、日本中が焼け野原された1945年8月を思い起こさなければならない。あの時、日本人は平和の尊さを知り、憲法9条に平和への意志を込めた。広島・長崎は核兵器による人類絶滅を防ぐために起ち上がった。
 東日本大震災の時に輝いた光は、世界平和への願いと結びつかなければならない。日本ほど、世界平和を純粋に訴えることができる資格を備えた国はない。日本人は今こそ内なる神性を復活させ、「世界人類が平和でありますように」と祈らなければならない。それが世界を平和に導くための日本の使命がある。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年7月号ESSAYより。(I)
 

わらわれたって いいのです。 辻田東造

未分類ブログ

かねちゃんが ろうかで

おしっこ もらして なきました。

みんなが くすくす わらった とき

あしのわるい かっちゃんが

ばけつに みずを くんで きて

さっさと ふいて やりました。

みんなが くすくす わらいだし

おべっかだ

むり すんなよ といいました。

べろを ぺろっと だしました。

でも かっちゃんは へいきな かおで

ぞうきんをあらいに いきました。

びっこ ひき ひき おりて いく とき

あたいが いくとよ

おもわず わたしが かけて いったら

じゃ ふたりでねと かっちゃんは

にっこり わらって いいました。

それから ふたりで

れんげの はな つんで かえりました。

 

『現代少年詩集』ポプラ社・1961
(新日本少年少女全集・第四十巻)から。(素直に自然に良いことが出来ることに感動です。世界人類が平和でありますように。I)

2018年6月23日 12時43分・沖縄慰霊の日 平和の詩「生きる」全文:沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん

未分類ブログ

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

◎沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子さん(沖縄と日本と地球を代表して相良さん『平和の心と感動をありがとう』。「世界人類が平和でありますように」)

 

祈りの力

未分類ブログ

 祈りや瞑想が個人の精神や肉体に好影響を及ぼすことは、多くの研究によって科学的に証明されつつある。例えば、瞑想に習熟した仏教僧の脳波では、精神的安定を示すアルファ波が多いことがわかっている。これに対して、瞑想をしない一般の人では、ストレスと関係するベータ波が多い。ストレスが様々な病気の引き金になることが知られているので、アルファ波の優勢は健康状態の改善につながる。そういえば、座禅する禅僧には長寿の方が多い。
 最近では、祈りと瞑想が遺伝子レベルにまで影響を及ぼすことが解明されつつある。遺伝子研究の専門家である筑波大学名誉教授の村上和雄博士が、高野山の僧侶における遺伝子発現の活性化(オン・オフ)を調査したところ、僧侶に多く発現する遺伝子が見つかった。それらの遺伝子はいずれも、ウイルスの増殖を抑えたり、感染した細胞を除去したりすることが、遺伝子レベルで判明したのである。
 祈りにはさらに不思議な作用があることを、英国の科学ジャーナリスト、リン・マクタガード女史が報告している。意識と物質の関係に関心をいだき、量子力学をはじめとする最先端科学の現場をレポートしてきた彼女は、あるとき思い立って、自分でも意識と物質の関係についての実験を始めた。この実験は、多くの科学者の協力と助言を得て、試行錯誤しながらも、科学的にも検証可能な形で進められた。その結果は、彼女のそれまでの科学的常識を覆すものであった。
 彼女は最初、8人の瞑想グループを結成し、そのグループに遠隔地に住む病気で苦しむ人に癒しの祈りを送ってもらった。すると、その人には医者が驚くほどの改善が起こった。いくつもの8人グループに同じような祈りをしてもらったところ、その大部分で信じられほどの改善が起こった。
 遠隔地にある大麦の種に成長を促す祈りを送ったところ、祈りを送られた種は、何もしなかった種よりも、はるかに成長が早かった。さらに、もっと大勢の人の参加を得て、当時。内戦で毎日多くの人々が殺傷されているスリランカに平和の意識を送ってもらったところ、翌週、死傷者の数が劇的に減少した。
 数々の実験を通して、マクタガード女史は、意識が物質世界に影響を及ぼすという事実をまのあたりに見せられたのである(「パワー・オブ・エイト」ダイヤモンド社)。
 祈りとは自我欲望にもとづく単なる心弱い願望ではない。祈りには個人を変え、世界を変える偉大な力があるのだ。誰でも日常生活の中で簡単にできる祈りが世界平和の祈りである。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年6月号。ESSAYより。世界人類が平和でありますように (I)

2018年5月14日。福井県護国神社にピースポール建立。

福井ブログ

2018年5月14日。福井県護国神社にピースポール建立

5月13日の福井県護国神社での正式参拝・印の奉納・祈りの会(23名参加)の午前中に建立予定でしたピースポールが、本降りの雨で翌日の14日に延期になりました。14日は時折日が差す最高の建立日和になりました。また、鳥居の横の一番良い場所に建立許可を頂き神々様の喜びが全身に伝わり感動と感謝で建立出来ました。(撮影・ピースポールの寄付・池端靖子様)(I)180514_1154~01 180514_1154~03(●白光北陸ではソサイティの趣旨に賛同してピースポール建立などの平和活動も行っております。)

忖度(そんたく)

未分類ブログ

 札幌の隣の当別村(現在は当別町)出身の佐々木友次さんは、飛行機が大好きな少年だった。1923年生まれというから、私の父より一歳年下である。私の父は歩兵として満州に出征させられたが、佐々木さんは最初、逓信省航空局に入り、その後、飛行士としての訓練を受け、戦局の悪化に伴い、特攻隊に編入された。
 特攻隊というと、飛行機ごと米艦に体当たりする攻撃方法で知られている。佐々木さんも上官から、体当たりして死んでこい、と命令されたが、攻撃の目的は貴重な飛行士と飛行機を失うことではなく、敵艦に打撃を与えることなのだから、爆弾を命中させれば、飛行士も飛行機も何度も使えるはずだ、と主張して、体当たり攻撃をやめ、爆弾を命中させる戦法を取った。その結果、九回も特攻攻撃に出動しながら、奇跡的に生き延びた(鴻上尚史「不死身の特攻兵」)。
 当時、上官の命令は、どんな理不尽なものでも、天皇陛下の命令と等しく、それに背くことは許されなかった。多くの特攻隊員は、自分は安全な立場にいながら、部下に死を強要する上官に激しい憤りを感じながら、死地に赴いたようである。しかし、佐々木さんは、理解ある上官もいて、自分のまっとうな主張を貫いたのである。
 現在の日本でも、会社などの組織に入ると、上司の無理な要求に圧迫されて、過労死をする人が後を絶たない。特攻隊と同じような状況だ、と言ったら言い過ぎだろうか。
 欧米人の個人主義に対して、日本人の集団主義ということは、昔からよく言われていることだが、昨年は「忖度」という言葉が流行語大賞になった。辞書によれば、「他人の気持ちを推しはかること」という意味だが、官庁組織では、上位の権力者の意向をくみ取り、それに合わせた言動をすることを意味するようだ。公正であるべき行政が歪められているのではないか、という疑問が「忖度」という語にはつきまとってくる。
 しばらく前には「KY(空気が読めない)」という言葉がはやったが、この言葉も、個人の考え・主張よりも、集団やその場の「和」を重視している。
 組織の上位者から言われたことをそのまま遂行し、周囲の人々と同じことをするのは、個人の責任は問われないので、ある意味では楽な生き方である。しかし、その集団圧力に流されて、自分の生命までも危険になったり、法律や官僚としての倫理を逸脱するようになっては本末転倒である。それは真の「和」ではなく、付和雷同である。集団がおかしな方向に向かっているならば、佐々木さんのように、忖度せず、それにあえて異を唱えることも必要ではなかろうか。(N)

月刊新聞「世界平和の祈り」2018年4月号より。(I)

1 / 212

最新の記事

カテゴリー

月別アーカイブ