忖度(そんたく)
札幌の隣の当別村(現在は当別町)出身の佐々木友次さんは、飛行機が大好きな少年だった。1923年生まれというから、私の父より一歳年下である。私の父は歩兵として満州に出征させられたが、佐々木さんは最初、逓信省航空局に入り、その後、飛行士としての訓練を受け、戦局の悪化に伴い、特攻隊に編入された。
特攻隊というと、飛行機ごと米艦に体当たりする攻撃方法で知られている。佐々木さんも上官から、体当たりして死んでこい、と命令されたが、攻撃の目的は貴重な飛行士と飛行機を失うことではなく、敵艦に打撃を与えることなのだから、爆弾を命中させれば、飛行士も飛行機も何度も使えるはずだ、と主張して、体当たり攻撃をやめ、爆弾を命中させる戦法を取った。その結果、九回も特攻攻撃に出動しながら、奇跡的に生き延びた(鴻上尚史「不死身の特攻兵」)。
当時、上官の命令は、どんな理不尽なものでも、天皇陛下の命令と等しく、それに背くことは許されなかった。多くの特攻隊員は、自分は安全な立場にいながら、部下に死を強要する上官に激しい憤りを感じながら、死地に赴いたようである。しかし、佐々木さんは、理解ある上官もいて、自分のまっとうな主張を貫いたのである。
現在の日本でも、会社などの組織に入ると、上司の無理な要求に圧迫されて、過労死をする人が後を絶たない。特攻隊と同じような状況だ、と言ったら言い過ぎだろうか。
欧米人の個人主義に対して、日本人の集団主義ということは、昔からよく言われていることだが、昨年は「忖度」という言葉が流行語大賞になった。辞書によれば、「他人の気持ちを推しはかること」という意味だが、官庁組織では、上位の権力者の意向をくみ取り、それに合わせた言動をすることを意味するようだ。公正であるべき行政が歪められているのではないか、という疑問が「忖度」という語にはつきまとってくる。
しばらく前には「KY(空気が読めない)」という言葉がはやったが、この言葉も、個人の考え・主張よりも、集団やその場の「和」を重視している。
組織の上位者から言われたことをそのまま遂行し、周囲の人々と同じことをするのは、個人の責任は問われないので、ある意味では楽な生き方である。しかし、その集団圧力に流されて、自分の生命までも危険になったり、法律や官僚としての倫理を逸脱するようになっては本末転倒である。それは真の「和」ではなく、付和雷同である。集団がおかしな方向に向かっているならば、佐々木さんのように、忖度せず、それにあえて異を唱えることも必要ではなかろうか。(N)
月刊新聞「世界平和の祈り」2018年4月号より。(I)